声と文学 拡张する身体の诱惑
声は、身体に深く根ざした现象であるようにみえる。ところが、个人の特殊なものとどまらない、古い时代や土地の记忆に根ざした、奇妙な広がりが感じられることがある。个别の人间のものなのに、一人の人间という尺度を超えた、はるかな呼びかけが闻こえてくることがあるのだ。声という现象を、フランス现代文学はどのように描いているのだろうか。
本书は二十一名の文学研究者が、この声という、一筋縄では捕らえられない主题に取り组んだ论文集である。扱われるテーマは、フランス十九世纪、二十世纪の文学作品が主体だが、ホメロスから初音ミクまで多种多様な话题が扱われ、内容を要约することは不可能だ。だが、いくつかの论文を読みすすめると、ある共通项が否定しがたく浮上してくる。それは、身体そのものであるようにみえる声が、実际には话し手の身体から切り离すことができるし、その人の主体からも分离できるという事実である。一八七七年、エジソンによる蓄音机という日付を取りあげてみよう。福田裕大氏の指摘によれば、蓄音机が登场した当初、机械の発生させるノイズのうちに、人间の声を闻きとることは必ずしも容易ではなかった。蓄音机に耳を倾ける犬のニッパーが象徴するように、亡くなった人の声がそこに记録されているという考えが広がるにつれて、ようやく人々は再生音を人の声と结びつけるようになった。身体そのものであるはずの声が、その人が亡くなってからもこの世に残るという现象が、人々の心を惹きつけたのである。
これは近代の技术に限定された問題ではない。読み、書き、話すという、声と深く関わる実践は、亡くなった人との交信を抜きにして考えることができない。例えば、伊藤亜紗氏が見事に定式化したように、読書とは、文字に残された死者の言葉に、読み手が自らの声を貸し与える行為である。テクストのなかで語っていた誰かは、生きた人間の身体を通してつねに現在のものとなろうとしている。これは書くという行為が、自己表出などではなく、見知らぬ読み手が自らの声を貸し出すことによって初めて成り立つことも意味している。書くという行為は、書き手のものとも、読み手のものとも言えない、ひとつの新しい主体を立ちあげる行為なのだ。
ヴォーカロイドを用いた音声合成のさまざまな试みにも、声を与える/声を借りるという実践を认めることができる。新岛进氏の语る亡き子の声を合成する母亲の物语、中田健太郎氏が绍介する、亡き妻が歌う新曲をヴォーカロイドで作りつづけるアーティスト──これは声というものが、死者との交流をごく自然な前提としていることと関わっている。
声のなかでは、现実に存在する人と、いまは亡き人という区别が限りなく曖昧になってゆく。だがこの事态は、テクノロジーの进展を见守っていると、もはや声に限られた问题ではなくなっているのではないだろうか。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 塚本 昌則 / 2018)
本の目次
鈴木雅雄
I それは谁の声か──语り、身体、沉黙
贷し出される身体──话すことと読むことをめぐって
伊藤亜紗
消えゆく声──ロランバルト
桑田光平
セイレーンたちの歌と「语りの声」――ブランショ、カフカ、叁人称
郷原佳以
〈操る声〉と〈声の借用〉──ジャリにおける蓄音机、催眠术、テレパシー
合田陽祐
文学―他所から来た声?――ホメロスからヴァレリーへ
ウィリアム?マルクス(内藤真奈 訳)
II 声の不在と现前――歌、証言、フィクション
〈第四の声〉──ヴァレリーの声に関する考察
塚本昌則
シャルロット?デルボ――アウシュヴィッツを「聴く」証人
谷口亜沙子
奥岛を描写する〈声〉は谁のものか――ペレック『奥あるいは子供の顷の思い出』における証言の问题
塩塚秀一郎
想像し、想像させる声――ベケットとデュラス?
たけだはるか
声は石になった──アンドレ?ブルトン『础音』精読
前之園 望
歌声と回想――ルソー、シャトーブリアン、ネルヴァル
野崎 歓
III 声から立ちあがるもの──叫び、リズム、ささやき
叙情に抗う声――オカール、アルトー、ハイツィックにおける音声的言表主体
熊木 淳
例外性の発明――ギー?ドゥボールの声について
門間広明
目で聴く――マラルメと古典人文学の変容
立花 史
主体なき口头性――アンリ?ミショーにおけるリズム
梶田 裕
ささやきとしての声 (ヴォワ)、動詞の形としての態 (ヴォワ) ──主体のエコノミー (ヴァレリー、ブルトン)
ジャクリーヌ?シェニウー=ジャンドロン (中田健太郎 訳)
IV 声の创造――霊媒、テレパシー、人工音声
声は闻き逃されねばならない――シュルレアリスムとノイズの潜势力
鈴木雅雄
心霊主义における声と身元确认――「作家なき作品」の制作の场としての交霊会
橋本一径
人工の声をめぐる幻想――ヴェルヌ、ルーセル、初音ミク
新島 進
オートマティスムの声は谁のもの?──ブルトン、幽霊、初音ミク
中田健太郎
フランスにみる録音技术の黎明期――来るべき「録音技术と文学」のために
福田裕大
跋 〈本物〉とは何か──サイボーグにおける诚実さ
塚本昌則
年表 音響技术と文学
福田裕大 編
索引
関连情报
福田裕大 新刊紹介 (REPRE vol.31 2017年11月11日)
书评:
澤田 直 (立教大学教授) 評: 文学の核心にある声 (週刊読書人ウェブ 2017年5月19日掲載)
島村山寝 評: (『Excelsior!』第12号 2017年12月16日)