日仏会馆ライブラリー レトリックとテロル ジロドゥ/サルトル/ブランショ/ポーラン
本书は、2023年10月に日仏会馆で行われた国际シンポジウム「レトリックとテロル:ジロドゥ/サルトル/ブランショ」を出発点とした论集です。まずは、「レトリックとテロル」というタイトルに説明が必要でしょう。「レトリック」は「修辞学」という訳语で知られています。かつてはより広く「弁论术」という意味で用いられていましたが、ここでは、何を语るかよりもいかに语るかに倾注する学问、と考えておいてよいでしょう。隠喩や换喩といった文彩の学のことです。「テロル」の方は、テロ事件ではなく、フランス革命期の「恐怖政治」を指す语です。とはいえ、ここでは比喩的に用いられています。
「テロル」を比喩的に用い、19世纪以来、文学の言叶に対するフランスの批评家や作家たちの考え方は「レトリック」派と「テロル」派に二分されている、と指摘したのがジャン?ポーランという批评家です。批评家であるだけでなく、『新フランス评论』という20世纪フランスで大きな役割を果たした文芸誌の编集长としても活跃した人ですが、彼は1941年に『タルブの花――文芸における恐怖政治』を刊行し、使い古された言叶を避けて独创性の直接的発露を求める人々を「テロル」として批判し、言叶の力を信じ言叶を重视する「レトリック」を新たな形で復活させることを説いたのです。
ドイツによる占領下のフランスで、作家や批評家たちはこのポーランの問題提起を各々の仕方で受け止めました。本論集は、当時、名声を博していた作家?批評家で、『シュザンヌと太平洋』、『トロイ戦争は起こらない』などで知られるジャン?ジロドゥ (1882-1944) と、その一世代下の作家?批評家で、主に戦後に活躍するようになるジャン=ポール?サルトル (1905-1980) とモーリス?ブランショ (1907-2003) に焦点を当て、彼らがポーランの問題提起をどのように受け止めて文芸批評を展開したのか、また相互にどのような関係性にあったのかについて、ジロドゥ、サルトル、ブランショおよびその関連領域の11名 (シンポジウムでは12名) の研究者が考察を行ったものです。
第I部にジロドゥに関する論考、第II部にサルトル、ブランショ、ポーランに関する論考が収められ、彼らと、同時代の批評家クロード=エドモンド?マニーやブリス?パラン、前世紀の詩人ロートレアモンとの関わりも論じられています。これまでにない作家の組み合わせを通して、第二次世界大戦期のフランスにおいて文学言语をめぐり共有されていた問題意識に光を当てることができたのではないかと思います。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 教授 郷原 佳以 / 2024)
本の目次
I
八拍子のワルツ――ジロドゥ、サルトル、ブランショにおける批判的諸関係 (一九三八-一九四五) の分析
クリストフ?ビダン
『ルクレチアのために』の今日的意义――暗闇のなかの手つかずの可能性
间瀬幸江
言葉、プロパガンダ、映画――ジャン?ジロドゥの言语観とその映画作品の関係
田ノ口诚悟
「限界‐体験」への诱惑――ジロドゥの演剧における女性の登场人物とアイデンティティの境界
ヴァンサン?ブランクール
ジロドゥのレトリック――「疑いも不安もないレトリック」(C = E?マニー) か?
アンドレ?ジョブ
II
サルトルの考えるテロル――シュルレアリスムからネグリチュードへ
泽田直
ある挫折の解剖学――ポーランとブランショのあいだのサルトル (一九四五―一九五二)
ジル?フィリップ
ジャン?ポーランとブリス?パラン――言叶の形而上学をめぐって
渡辺惟央
常套句、あるいは、振动と挥発――ポーランからブランショへ
郷原佳以
死と存在の空间へ向けて――モーリス?ブランショにおける二つのテロル
市川崇
モーリス?ブランショの文学时评、ロートレアモンと小説の问题
筑山和也
感性の问题――叁つの同时代小説、『选り抜きの女たち』、『呕吐』、『谜の男トマ』をめぐる交叉的読解
クリストフ?ビダン
シンポジウム「レトリックとテロル」の诞生について――「あとがき」に代えて
ヴァンサン?ブランクール
関连情报
新刊紹介 (REPRE Vol. 52 2024年10月)
シンポジウム:
レトリックとテロル:ジロドゥ/サルトル/ブランショ (日本フランス语フランス文学会/日仏会馆 2023年10月14日~15日)