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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙に青のイラスト、帯に「言葉を味わう完成のレッスン」とコメントあり

书籍名

诗的思考のめざめ 心と言叶にほんとうは起きていること

着者名

判型など

240ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2014年2月20日

ISBN コード

978-4-130-83064-5

出版社

东京大学出版会

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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私たちは「诗的」という言叶が好きです。诗的な気分、诗的な装い、诗的な言い回し…。芳香剤のようなもので、「诗的」とつけるだけでちょっといい感じがする。でも、私は「诗的」という言叶を耳にすると、ちょっと警戒してしまいます。「诗的」という形容にはむやみと気安い心地良さが涂りこめられていて、言叶としての威力が失われているように思うのです。

「詩的」という言葉に本来の意味を取り戻してもらいたい -- この本にはそんな願いをこめました。「詩的」とはあまり相性の良くなさそうな「思考」という語をタイトルに入れたのもそのためです。「詩的」という形容は、ちょっといい感じのことを示して終わるようなものではなく、私たちが世界とかかわるときの、ただならぬ緊張感や興奮を呼び覚ますことができるものです。ムードや感情だけでなく、私たちの精神全体がどのように機能するのか示すことができる。

まず「生活篇」と銘打った前半の五つの章では、私たちと詩とのあいまいなかかわり方がどこから始まるのか、あらためて確認します。知ってはいるけれど、知らない -- 詩はそんなもやもやした領域にあります。それと気づかないうちに、私たちの日常生活の中で大きな意味を持っているのが詩なのです。そこに注意を向けたい。それがいったいどんな場所なのか、見極めたい。

冒头の二つの章では、诗というジャンルに対して苦手意识を持っている人を想定読者としてみました。诗と闻くだけで拒絶反応を示すような人はけっこういます。文学研究者や批评家の中にも「僕は诗はわからないから」と言って小説だけしか対象にしない方はけっこうおられる。いや、多くの人は多少なりと自分の中に「诗が苦手な自分」を隠し持っているのかもしれない。私自身もそうだと思います。とするなら、「诗が苦手」という设定をとることで、むしろ根本的なことが话题にできるかなと思うわけです。

后半は実践编と铭打ち、五つの章ごとにひとつの诗作品をとりあげて、どこに読みどころがあるかを考えてみました。なるべく「正解」を押しつけるような説明にはならないようつとめたつもりです。何より强调したかったのは、诗の言叶にはあれこれいじったり语ったりする余地があるということです。つまり、観客席から身を乗り出すようにして参加していいのが诗なのです。そうやって手を伸ばしてみることで、いろいろな発见があったり、出会いがあったりする。これらの章は、诗を语ることによってその世界を広げるための実践とお考えいただければと思います。

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 准教授 阿部 公彦 / 2016)

本の目次

はじめに -- 詩の「香り」にだまされないために

I 日常にも詩は "起きている" -- 生活篇

第1章 名前をつける -- 阿久悠「ペッパー警部」、金子光晴「おっとせい」、川崎洋「海」、梶井基次郎「檸檬」ほか /「詩が苦手」の心理 / 詩はほんとうにすばらしい? / 詩を見つけるには? / なぜ私たちは名づけたいのか? / 変な名前でもいいのか? / 名前をつけそこなうとどうなる? / 名指しの裏側 / 名づけられない辛さ / 名前の一歩手前

第2章 声が聞こえてくる -- 宮沢賢治「なめとこ山の熊」、大江健三郎『洪水はわが魂に及び』、宗左近「来歴」/ 聞くことと、聞こえてくることのちがい / 詩は本来退屈なもの / 詩の一歩手前 / 語りの聞こえ方 / ふつうなら聞こえないこととは? / 異次元というチャンネル / 無言との格闘

第3章 言葉をならべる -- 新川和江「土へのオード」、西脇順三郎「失われた時」、石垣りん「くらし」/ 詩人は列挙する / なぜ私たちは列挙しないのか? / 言葉とめまい / 「どうせ」の外側に出る

第4章 黙る -- 高村光太郎「牛」/ あなたはいつ大きな声をだしますか? / 言葉ははじめからそこにあるわけではない / 高村光太郎と「愚鈍さ」 / 読んでいて落ち着かない / 牛という口実

第5章 恥じる -- 荒川洋治『詩とことば』、山之口貘「牛とまじない」、高橋睦郎「この家は」/ 読まれなければ意味がない? / 詩ははじめから恥ずかしい / 詩と「いつもの自分」 / 牛の効用 / 上手に恥じるために

II 書かれた詩はどのようにふるまうか? -- 読解篇

第6章 品詞が動く -- 萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」/ 詩の言葉をいじる / 内容を読まないために / 動詞の妙なふるまい / 形容詞の意味がわからない / 歌のふりをする / 言葉にとりつかれる

第7章 身だしなみが変わる -- 伊藤比呂美「きっと便器なんだろう」/ 言葉の服装 / どうしてセックス? / 「何でもあり」と「いきなり」 / 完全無垢の接近 /「今」と「ここ」の言葉 / "奥"のつくり方 / "歪み"の快楽

第8章 私がいない -- 西脇順三郎「眼」/ 日本语で詩は可能か? / 「私」はどこにいるのか? / 言葉を汚す / 体言止めと寡黙さ / "よそ行き"の言葉の使い道

第9章 型から始まる -- 田原「夢の中の木」ほか / それでも型は消えなかった / 目には見えない型 / 「は」の作用/定期的な力 / 「は」の呪術

第10章 世界に尋ねる -- 谷川俊太郎「おならうた」「心のスケッチA」「夕焼け」ほか / 谷川俊太郎には困った / 谷川俊太郎はなぜこんなにわかりやすいのか? / 人はいつ「わかる」のか? / 谷川俊太郎の問いの方法 / そんなに身軽な言葉で大丈夫? / なぜ詩を信じないのか?

読书案内
おわりに -- 詩の出口を見つける

関连情报

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