100分诲别名着 夏目漱石スペシャル 西洋小説の形式と格闘した四作
漱石はきちんと「出あう」のが难しい作家です。たとえば「これは夏目漱石の书いた小説です」と言われれば、私たちはその作品を読んでもいないのに読んだような错覚に陥ったり、あらすじだけで何かをわかった気になったりする。作家の名前による先入観から、予断を持ってしまうのです。作品と本当に「出会う」にはどうしたらいいのか。
小説を読むのは、全身的な行為です。头や感情ももちろん関係する。体も忘れてはいけない。胃肠や、呼吸や、背骨も大事。感触を味わい、文章のリズムに身を委ねたい。笑ったり、つっこみを入れたり、颜をしかめたり。场合によってはぜえぜえあえいだり、踊り出したり、地団駄踏んだり。
そんな出会い方をするためのヒントを、本书では4つの回に分けて示していきます。そのために、みなさんにずんずん歩く心地や、胃肠の気持悪い感じを想像してもらうこともある。「真相究明するぞ」とばかりに目を剥いてもらうこともあるかもしれない。漱石はそんなふうに全身を使って読むに値する作家です。
漱石は日本でどう小説が書かれ、読まれてきたかを理解するのに、うってつけの作家です。生まれは一八六七 (慶応三) 年ですが、本格的に小説を書き始めたのは、『吾輩は猫である』を発表した一九〇五 (明治三十八) 年以降。四十歳近くになってデビューした、遅咲きの作家なのです。
明治という時代は、日本に西欧の近代小説が輸入され、日本语で小説を書くことに多くの作家たちが挑戦した時代でもあります。漱石もまた、さまざまな小説スタイルを取り入れ、消化し、多様な作品に結実させました。漱石作品を読めば、彼が日本语と日本文化の中に小説という新しいジャンルを根づかせようと頑張ったさまを見て取ることができます。近代小説が生まれたこの時期ならではの苦労の数々が、ひとりの作家の作品に現われているのです。
『梦十夜』などに顕着ですが、漱石が小説という新兴のジャンルを完全に信じることができず懐疑的になっていたと感じられる作品もあります。他方で、おもしろおかしいものを求めようとする叠级性も漱石にはあった。単にエリートとして、近代小説の様式にどっぷりつかっていたわけではないのです。冒険を试み、ときに、ちょっと変なこともした。
さまざまな意味でパイオニアだった漱石は、まだそのシステムが完成してもいないのに、そのシステムを生きなければならない苦しさを、いやというほど味わった人でした。手探りで近代小説にぶつかっていった彼の轨跡を追えば、小説とはどういうものなのか、その本质が见えてくるかと思います。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 阿部 公彦 / 2020)
本の目次
【第1回】
『叁四郎』と歩行のゆくえ
【第2回】
『梦十夜』と不安な目
【第3回】
『道草』とお腹の具合
【第4回】
『明暗』の「奥」にあるもの
関连情报
プロデューサーAのおもわく。3月の名著: 夏目漱石スペシャル
100分诲别名着 夏目漱石スペシャル 第1回「“三四郎”と歩行のゆくえ」 (NHKオンデマンド 2019年3月4日放送)
100分诲别名着 夏目漱石スペシャル 第2回「“夢十夜”と不安な眼」 (NHKオンデマンド 2019年3月11日放送)
100分诲别名着 夏目漱石スペシャル 第3回「“道草”とお腹の具合」 (NHKオンデマンド 2019年3月18日放送)
100分诲别名着 夏目漱石スペシャル 第4回「“明暗”の“奥”にあるもの」(最終回) (NHKオンデマンド 2019年3月25日放送)