犠牲の森で 大江健叁郎の死生観
東京大学に提出した博士論文を元に2023年3月に出版された本書は、ノーベル賞作家?大江健三郎のキャリア全体を縦断するかたちで、その死生観の変遷を読み解いた研究書である。本書の刊行直前に、大江はその88年の生涯を閉じた。戦後日本文学のみならず、世界文学を牽引した作家であった彼の逝去に、一つの時代の終焉を見たような喪失感を覚えた人々は少なくないだろうが (私もその一人である)、これをきっかけに大江作品を手にとる読者が増え、近年新たな角度から隆盛を見せていた大江研究がますます発展していくことは間違いないだろう。「死生観」という切り口から、大江という作家の全体像を浮かび上がらせようとした初めての試みである本書が、その発展に少しでも寄与することができれば嬉しく思う。
大江健三郎は、「書き直し」の作家である。東京大学在学中に小説家としてデビューし、「飼育」(1958) で芥川賞を受賞。その後、「最後の小説」となった『晩年様式集 (イン?レイト?スタイル)』(2013) に至るまで、数多くの作品を生み出しつづけてきた彼の長いキャリアはまさに、「書き直し」のプロセスであったと言って良い。たとえば、彼の自筆原稿には夥しい加筆修正の跡が見られ、最終稿を決定するまでに繰り返し原稿に手がいれられていたことがわかる。またそれだけではなく、彼はある特定の主題を複数の作品で取り上げ、そこに何度も「書き直し」を施すことで、その作品世界を構築してきた作家でもあった。そして、彼が「書き直し」の対象とした主題のひとつとして重要であったものこそ、「死生観」なのである。
本書で注目したのは、大江の小説作品に示される死生観が、第一に、暴力的な所業の犠牲となって傷ついて死んでいったものたちの亡霊性――多く、「動物」のイメージと結びついて作中に描出される――をめぐる思考、第二に、あらゆる魂を包括し救済へと導く「総体」としての超越的存在――多く、「樹木」のイメージと結びついて描出される――をめぐる思考という、二つの軸に貫かれている、ということだ。しかもその二つの軸は、ともに「犠牲」の問題と不可分なものとして、大江作品に立ち現れてくるのである。そこで本書は、初期から後期までの彼の全キャリアを俯瞰し、この二つの軸が緊張関係のもとに絡み合いながら変容していくプロセスを明らかにすることを試みた。特に難解と評される『同時代ゲーム』(1979) を出発点として、イメージ分析を主軸に、様々な領域のテクストからの影響、同時代的な社会状況や精神世界言説、故郷の歴史?空間性との関係などを踏まえながら、その作品世界に満ちる独特で豊かなイメージを丁寧に掘り下げた本書は、大江作品の理解の一助となり、その魅力を開示する参考書ともなったと考えている。
すでに大江作品に亲しんでいる方だけではなく、これから挑戦してみたいと思っている方にも、ぜひご一読いただければ幸いである。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 助教 菊間 晴子 / 2023)
本の目次
第I部 「壊す人」の多面性――『同時代ゲーム』
第一章 『同時代ゲーム』の背景
第二章 「犬ほどの大きさのもの」
第三章 「暗い巨人」への帰依
第四章 「森」という神秘のトポス
第滨滨部 犠牲獣の亡霊
第一章 皮を剥がれた獣たち
第二章 「御霊」を生むまなざし
第叁章 隠された「生首」
第四章 「後期の仕事 (レイト?ワーク)」における亡霊との対話
第滨滨滨部 「総体」をめぐる想像力
第一章 自己犠牲と救済
第二章 救済を担う大树
第叁章 圣なる洼地と亡霊たち
补论 テン洼を探して
第四章 「神」なき「祈り」の場
结论 「犠牲の森」の変容
関连情报
第12回東京大学南原繁記念出版賞受賞 (东京大学出版会 2021年)
试し読み:
『犠牲の森で』「序论 「死生観」から大江を読む」より (东京大学出版会|note 2023年3月16日)
书评:
番場俊 評「三人の女たちの一人による別の話」 (『表象』18 pp. 167-171 2024年6月)
宮澤隆義 評「「犠牲」の一般化と「スピリチュアリティ」の位置――数多くの屈曲を持った大江の小説を、モチーフの変遷を追いながら一貫した視点で読み解く」 (図書新聞 3598号 2023年7月8日)
古田一晴 評「書店員の1冊」 (東京新聞 2023年4月15日)
熊谷謙介 評 (REPRE|表象文化論学会 49号 2023年3月)
书籍绍介:
「BOOK WATCHING」 (毎日新聞 2023年5月10日)
関连记事:
好書好日「菊間晴子さん「犠牲の森で」 大江健三郎作品の死生観を読み解く「亡霊と超越的存在」」 (朝日新聞 2023年6月14日)
「大江健叁郎の死生観とは 作品内のイメージたよりに全体像迫る評論」 (朝日新聞デジタル 2023年5月23日)
菊間晴子(『犠牲の森で――大江健叁郎の死生観』)南原賞贈呈式スピ―チ (东京大学出版会|note 2023年3月29日)
[研究ノート] 菊間晴子「生の痕跡としての「穴」──大江健三郎作品における「テン窪」というトポス」 (REPRE|表象文化論学会 39号 2019年)
[論文] 菊間晴子「「後期の仕事 (レイト?ワーク)」にあった「希望」――大江健三郎の小説作品における死者とのコミュニケーションに着目して (『日本近代文学』96巻 2017年)
関连动画:
東京大学 南原繁記念出版賞 表彰式?贈呈式 (UTPress|YouTube 2023年3月24日)
関连イベント:
NEW! 安藤礼二、菊间晴子 司会=横山宏介「君は大江健叁郎を知っているか──国民的作家の『ヤバさ』をめぐって」 (ゲンロンカフェ 2024年2月16日)
第22回ホームカミングデイ文学部企画「大江健叁郎を语る视座」 (第22回东京大学ホームカミングデイ 2023年10月21日)
「これから大江健三郎と出会う人のために」 (本と珈琲の店 UNITÉ 2023年8月5日)
『犠牲の森で 大江健叁郎の死生観』刊行記念 菊間晴子先生×安藤宏先生トークイベント (
纪伊国屋书店新宿本店 2023年6月7日)
関连サイト:
大江健叁郎文库 (东京大学大学院人文社会系研究科?文学部)