なぜぼくが新国立竞技场をつくるのか 建筑家?隈研吾の覚悟
新国立竞技场のコンペティションの前后の时间の流れ方は寻常ではなかった。僕はその激流の中で、泳ぐという主体的な行為を今行うことは不可能であることに気がついた。ただ颜だけ水面の上に出して、息をし続けているしかないということに気がついたのである。マスコミは、自宅の前、研究室の前、事务所の前で、ずっと僕が出てくるのを待ち続けていた。
この本を书く顷には、少し落ち着きを取り戻し、手を掻いて、目指す方に向かって泳ぐことができるようになっていた。それでも水流は依然として速いし、涡も巻いていた。そんな特别な时间の中で、この本ができあがった。
振り返ってみれば、自分の人生はオリンピックによって振りまわされていたような気もする。1964年の東京オリンピックに10歳で遭遇し、产业資本主義、工業化という渦に巻き込まれ、圧倒され、建築家という職業を知って、その後、建築家を目指して泳ぎ続けることになった。当時東京大学建築学科で教鞭をとっていた丹下健三がオリンピックの水泳場として設計した代々木体育館 (1964) は、あまりにも美しくて、僕は建築家になるという夢をいだいた。高校一年で1970年の大阪万博に遭遇したが、その頃は、公害問題や学生紛争で学校も荒れていて、建築家を目指すことが本当に正しい決断なのだろうかと悩んだ。
それから大学に入るとオイルショックがあり、建設業という古い产业は、もはや世の中には必要ないのではないかという議論が起こった。建築設計の仕事を始めると状況は一転してバブルが始まり、そのバブルもまたたく間にはじけた。产业資本主義の世界から金融資本主義のゲーム的な世界への転換の中で、様々な混乱があり、僕の人生はそれに翻弄され続けたような気もする。
新国立競技場の第一回コンペで選ばれたザハ?ハディッド (1950-2016) は僕より少し上の世代で、金融資本主義が必要とするような、派手なアイコンを作る天才であり、いわば「金融資本主義のディーバ」であった。僕は、产业資本主義的なコンクリートの建築にも抵抗があったし、金融資本主義的なアイコニックなオブジェクトにも抵抗があって、その気持ちを『反オブジェクト』や『負ける建築』という本で書き記してきた。僕が目指す方向は「里山資本主義の建築」ということになるのかもしれない。建築のデザインというものは、経済や社会のシステムと深く結びついている。建築家は美を追究しているつもりになっているが、経済や社会が、その手のペンの動きを、無意識のうちに支配しているのである。そういうことに対して、僕はなるべく意識的でありたいと考えている。今は、そのように整理して、自分を客観視することもできるが、ザハの案がキャンセルされて、僕の里山の木の建築が選ばれた時は、そこまで頭が整理できなかった。その分、臨場感がある本になった。
(紹介文執筆者: 工学系研究科 教授 隈 研吾 / 2020)
本の目次
第2章 木の建築だからできる"偉大なる平凡"
第3章 都市のさまざまな矛盾を引き受ける
第4章 "辺境"の日本から理屈を超えた建築を
第5章 先輩の仕事を引き継ぐ――大成建設 山内隆司会長
第6章 黒子として支える――梓設計 杉谷文彦社長
第7章 都市の祝祭性と建築――対談?茂木健一郎
関连情报
「静かな幸せを」建築家?隈研吾さんが新国立競技場に込めた想い (ALL FOR 2020 2019年7月6日)
新国立竞技场に込められたメッセージ&尘诲补蝉丑;&尘诲补蝉丑;建筑家?隈研吾さん (苍颈辫辫辞苍.肠辞尘 2016年6月20日)
书评:
回転窓/建筑家?隈研吾氏の「妥协论」 (『日刊建设工业新闻』 2016年7月25日)
今週の本棚?本と人 (『毎日新闻』 2016年7月10日)
「负ける建筑」の意义を语る (『日本経済新闻』 2016年6月26日)
书籍绍介:
磯达雄?日本らしさをめぐる葛藤:新国立竞技场における木造と木材? (建筑讨论 2018年1月)
東京2020オリンピック?パラリンピックを読む 第1回『なぜぼくが新国立竞技场をつくるのか』 (東京都立図書館ホームページ 2016年7月5日)
幅允孝「新しい国立競技場に何が宿るのか?~火中の栗を拾った隈研吾が新国立競技場を語る~」 (Number Web 2016年6月20日)