クマラボイントウホク KENGO KUMA LAB IN TOHOKU
3.11の后で、自分が东北に设计した建物がどうなっているかが心配で、分断された道路で车を走らせて、なんとか、仙台、南叁陆、石巻にたどりついた。そこで目にしたものは、今でも心の底の方の部分で鸣り响いている。
若い学生达にも、灾害というものがどういうものか、人间というものがいかに脆いものであるか、あるいは人间が筑き上げてきた社会とか建筑というものが、いかにはかないものであるかを知ってもらいたくて、东北に何回も连れていった。
しかし、日本の学生は诱っても、手を挙げるものが少ない。一方、海外からの留学生は、目を辉かせて东北での研修を楽しみ、いろいろな质问もぶつけてきた。
その研修の様子、成果を一册にまとめてみたのがこの本で、学生达が被灾地に提案した様々なプロジェクトの絵も载せてある。福岛、南叁陆、南相马などの、かなりデリケートな敷地を选んで、そこに学生达に自由に提案をしてもらった。デリケートということもあり、また当然復兴となると予算に対しても、厳しい目で见られるであろう。「デザイナーの游びに、なんでそんなお金を掛ける必要があるんだ!」という叱责が闻こえてきそうであった。そんな条件にもかかわらず、学生达の提案は、かなりぶっとんでいた。兴味深いものが多かった。「大人达」の復兴プロジェクトが、僕が南叁陆や陆前高田に提案したものも含めて、様々なものへの配虑のしすぎが感じられるのに対し、学生──とくに海外からの学生の作品──は、復兴というものへのスタンスが、大人とは违っているようにも感じられた。復兴プロジェクトは、そのくらいに思い切りのいいものの方が、长い眼で见てみると、歴史に刻印されるものになったかもしれない。そういった提案の方が、地域を明るくし、人々に希望を与えるものになりえたかもしれない。灾害国日本に必要なのは、深刻にならずに、それをクリエイティブに乗り切っていくたくましさなのである。丹下健叁设计の広岛平和记念公园の建筑は、そんな创造性があった。自分のプロジェクトへの反省も含めて、今はそんなふうに感じている。
中でも印象深かったのは福岛の、立入り禁止の地域を访れた时のことである。立入り禁止とオカミにいわれても、耕作地を一度放弃してしまったら、その土地は原野に戻ってしまうといって、日中だけ自分の畑に戻って──もちろんそれを出荷することは许されないにもかかわらず──耕作を続けている根本さんの家を访れ、彼の土地に対する热い想いを、しんとした座敷に座って、みんなで闻き入った时の光景は、今でも忘れられない。
(紹介文執筆者: 工学系研究科 教授 隈 研吾 / 2020)
本の目次
倫理を超えて、FUKUSHIMA を考える(隈 研吾)
东北と復兴(津田大介)
南相馬、福島(あるいは東北)をこれからどうしたらよいか:「暮らす」と「ズラす」(開沼 博)
福岛の原発被灾地域における空间计画(洼田亜矢)
残されたものの颠末(ソフィ?ウダール)
「东北、そして福岛のこれから」を考える(山本俊一)
远い未来と远い过去に向かって(藤原彻平)
【スタジオ】
2013 フクシマを変えるケンチク
自然の中に漂う居住装置
海と暮らす、防潮堤ランドスケープ
被灾した常磐线を高架化する
ただ一人富冈に残った男のための、新しいエネルギーの家
帰宅困难地域とセーフゾーンの境界线
遗构の上の仮设のハコ
成长するコミュニティ
农家ネットワークの復兴拠点
2014 南叁陆の復兴広场
嵩上げした土地に、过去の区割りを重ね合う
物语を伝承するランドスケープ
高台と海をつなぐスリットを街に挿入する
出会いの起きる路地をつくる
盛り场の復兴
桟桥の上のパブリックスペース
构造物と自然のあいだ
2015 南相马の復兴拠点
野马追センターを拠点にした地域復兴
地域に残る文化施设の再生
祭りと公共施设
土地の境界线を、可変にする
永続的な住居システム
空き家を公共空间へ転用するプラットフォーム
渔师の塔
バイオマス発电所の见える化
地域を活性化する6次产业センター
実験的教育のための7+1 のレイヤー
竹と电柱と街の灯り
风景を消さない防潮堤
野生动物のための建筑
2017 小高への帰还
桥と駅とランドスケープ
可変的なキオスクが作るプラグインシティ
街を照らすヘッドライトとしての建筑
空き地のプレイグラウンド
交换可能なファブラボユニット
次世代流通を担うドローンタワー
関连情报
建筑家?隈研吾教授が振り返る东大での教员生活【退职记念インタビュー前编】 (东大新闻オンライン 2020年5月25日)