大日本史料 第六编之四十九
『大日本史料』は、史料编纂所が編纂?刊行する日本史史料集のひとつである。『日本書紀』に始まる六国史のあとを受け、仁和3年 (887) から慶応3年 (1867) にいたる980年間を十六の編に分けて編纂するもので、現在は第十二編 (江戸時代初期) までが着手されている。第六編は南北朝期、すなわち元弘3年 (1333) の鎌倉幕府滅亡から、後醍醐天皇による建武の新政、室町幕府の成立、南朝?北朝の二つの朝廷、二人の天皇の並立を経て、明徳3年 (1392) の南北両朝の合一にいたる過程を対象としている。
『大日本史料』は、さまざまな事件やできごとの概要を「綱文」という簡潔な文章にまとめて時間軸にそって並べ、「綱文」ごとに、その根拠となる史料を列挙していくというスタイルをとる。『第六编之四十九』は永和2年 (1376) 年末から同3年8月までの事件をとりあげているが、たとえば永和3年正月8日には「北朝、後七日法 (ごしちにちのほう) 及ビ太元法 (たいげんのほう) ヲ修シ、御斎会 (ごさいえ) ヲ停ム」という綱文を立てる。いずれも国家や天皇の安泰を願って、正月に宮中で行われる祈祷である。綱文に続けて、それぞれの法会の実施や停止について述べる貴族の日記、法会の内容を記す古文書や記録などを収録する。なかでも京都の醍醐寺には関係する史料が多く伝来しており、法会の手順や会場の設営状況、使用された法具や僧侶の装束の一覧、参加者への手当てや諸経費の内訳など、豊富にして詳細な情報を得ることができる。この時期にはほかに、後円融天皇の第一皇子の誕生、九州における南朝軍と北朝軍の戦闘、南朝朝廷による和歌集の編纂、幕府内での細川氏と斯波氏の衝突などの事件がある。また、この間に没した者については、伝記を作成している。系図?履歴?詩文等の作品?肖像?逸話等、公私にわたる事蹟を示す史料を集めて、人物の全体像を再現するよう努めている。
「綱文」に集約することのできない自然現象や人々の活動をあらわす史料は、「年末雑載」として、各年の終わりに「気象?災異」「社寺」「学芸」などの項目に分類して収録する。『第六编之四十九』には永和2年年末雑載のうち「寄進」「売買」「年貢」などの項目を載せた。全国に設定され、生産の基盤となった荘園?所領が、誰によってどのように支配?経営されたかがあきらかになるところで、当時の経済の仕組み?地域や民衆の動向などを知ることができる。
『大日本史料第六編』は、史料编纂所の出版事業の中でも最も早く始められたもので、第一巻の刊行は明治34年 (1901) にさかのぼる。歴史学のみならず、文学?宗教?美術等、あらゆる分野の史料を網羅的に収集し、内容を精査して書物の体裁にまとめ、過去を学び未来について考えることを志すすべての人に提供することを使命としてきた。今日ではその成果の多くを、史料编纂所のデータベース () からも発信しているので、ぜひ参照していただきたい。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 本郷 恵子 / 2016)
本の目次
第六编之四十九目次
南朝长庆天皇 天授二年
北朝后円融天皇 永和二年
年末雑载
寄进
売买
譲与
贷借
年贡
南朝天授叁年
北朝永和叁年
正月
一日 北朝、四方拝、小朝拝、御薬、関白九条忠基家拝礼ノ后、节会ヲ行フ、
北朝、従叁位安居院行知ヲ正叁位ニ叙ス、
二日 北朝殿上渊酔、
五日 北朝叙位、
七日 北朝白马节会
八日 北朝、后七日法及ビ太元法ヲ修シ、御斎会ヲ停ム、
北朝、女叙位ヲ停ム、
幕府评定始、是日、依田元信ヲ评定众ニ加フ、
十一日 北朝県召除目ヲ延引ス、
十二日 北朝卯杖、
足利义満ノ女夭ス、北朝触秽、
円覚寺住持妙在此山寂ス、
図版 此山妙在墨蹟
(以下略)