令和6年度东京大学学部入学式 教养学部长式辞
令和6年度东京大学学部入学式 教养学部长式辞
东京大学に入学された皆さん、ご入学おめでとうございます。
これまで皆さんを支えてこられたご家族、ご関係の皆様にも、教养学部の教职员を代表し、心よりお祝いを申し上げます。
皆さんは、东京大学に入学して、まず前期课程を驹场キャンパスにある教养学部で过ごします。
教养学部は、1949年5月31日に新制东京大学の発足と同时に设立されました。
つまり、この5月末で75周年を迎えることになります。
前身である旧制第一高等学校の歴史と校舎を受け継いでいて、旧制一高のさらに前身の东京英语学校から数えれば、今年で150周年という节目の年を迎えることになります。
皆さんの中には、东京大学という最先端の研究が行われている大学に入学したのだから、早く専门领域の研究に取り组みたいと思っている方も少なからずいるでしょう。
そこで、「なぜ东京大学は学士课程を前期、后期に分けているのか」、
またこれと関连して、「教养とは何か」、
そして、「皆さんに、二年间の前期课程をどのように过ごしてほしいか」について、私が思っていることをお话したいと思います。
まず、「なぜ东大は学士课程を前期、后期に分けているのか」について、私なりの考えを共有したいと思います。
以前、私は、クラスの学生を集めて面谈をしたことがあります。
その际に、「将来どの学科に进学し、そのあとどうしたいと思っているのか?」という、未来の自分の姿を语ってもらいました。
まだ、入学直后の学生たちでしたが、私が感じたのは、自分の将来を具体的に语るのに必要なボキャブラリーが残念ながら不足しているということです。
少なくとも、一年后の进学选択までには、自分がなりたい姿、敢えて言えば「梦」でしょうか、それを具体的に活き活きと语ってほしいと思っています。
その意味では、前期课程を、「自分の梦を语るためのボキャブラリーを育む时间」にしていただきたいと思います。
初代学部長の矢内原忠雄先生は教養学部前期課程の理念について、「ここで部分的専門的な知識の基礎である一般教養を身につけ、人間として偏らない知識をもち、 またどこまでも伸びていく真理探求の精神を植え付けなければならない。その精神こそ教養学部の生命である」と述べています。
矢内原先生の言叶に込められたメッセージを言い换えれば、前期课程の2年间は、敢えて偏よりなく知识を吸収しよう、それこそが、そのあと无限に伸びていく真理探求の精神の根干になるのだ、ということでしょう。
皆さんが目指していく専门分野が、他の分野とどう関连しているのか、またそれは社会や世界とどのようにつながっているのか、そして皆さんが情热を倾けていくものとして适しているのかを冷静に见定める。そうして「梦を语るためのボキャブラリー」を育んでください。
次に、「教养」とは何でしょうか。
本学名誉教授で、过去に教养学部长も务められたフランス哲学者の石井洋二郎先生は、教养教育について、「文理の枠组みを超えて、既存の知识、経験、思考の限界から解放し、固定観念や先入観にとらわれない、自立した批判的思考ができるような教育である」と述べています。さらに、「あらゆることを疑い、あらゆる情报の真偽を自分の目で确认してみること、必ず一次情报に立ち返って自分の头と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、「教养」というものの本质なのだ」とも述べています。
教养とは知识の束ではなく、能动的な动きを伴うべきと、私も考えています。
「理论的には正しいけれども、现実はそううまくはいかない」という経験はないでしょうか?
いったいなぜそのようなことが起こるのでしょうか?
理论は、何らかの前提や明确な条件の上に成り立っているものが多いです。
一方で、理论が一度构筑されると、前提や条件が忘れられて、あたかもどこでも无条件に成り立つと思い込んでしまうこともあります。
ですので、実际にそれを行ってみると、理论的に予测されたものの通りにはうまくいかないということになります。
まず何かを学び知识を得ること、そして実践して検証することが、教养につながると考えています。
理论と実践が両轮として机能していることが重要です。
知识を蓄えるだけではなく、能动的に実践すること。それが、「梦を语るためのボキャブラリー」をつくります。
最后に、「皆さんに二年间の前期课程をどのように过ごしてほしいか」についてお话しします。
本日入学式という节目を迎えた皆さんは、お正月の箱根駅伝に例えれば、苦しい箱根の山登りを越えて、芦ノ湖で往路のゴールを迎えたくらいの思いかもしれません。ただ、人生100年とすれば、まだ2区の戸塚の中継所で、比较的良い顺位でタスキを渡したくらいで、まだまだこの先にどのような展开があるのか、全くわかりません。
世の中は「VUCAの世界になった」と言われています。Volatility (変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity (曖昧性)です。
いまここを飞んでいるものが、一年后に同じ轨道の延长线上を飞んでいるのか、予测できない时代に入ってきています。
情报技术が急速な进化を遂げつつあり、例えば生成础滨がプレゼン资料くらいならば短时间に作ってしまう时代がすぐそこまで来ていると言われています。
本学の名誉教授で経済学者の伊藤元重先生が次のようなことを语っています。
「「働く」という言叶には「レイバー」、「ワーク」、「プレイ」の3种类がある。产业革命による机械の発达で、人は过酷な肉体労働であるレイバーから解放され、机械を操作するワークを得た。しかし、レイバーを失った労働者は怒り、机械を打ち壊した。现在、日本を含む先进国ではワークが失われかけている。产业革命がレイバーを夺ったのと同じように、技术革新やグローバル化がワークを夺っている。だからと言って、ワークをもう一度作ることが、我々のやるべきことなのだろうか。」
伊藤先生の指摘の通り、機械を動かすだけのワークや组织を管理するためのオフィスワークは、AIの進化やビジネスの革新によって減少していくでしょう。
こう言うと、技术の进化が人々から仕事を夺ってしまうように闻こえますが、そうではありません。レイバーがワークに変わったように、新しい働き方が生まれていくということなのです。
そして、その新しい働き方が「プレイ」だといいます。音楽アーティストやスポーツ选手はプレイヤーと呼ばれますね。公司でも、たとえば「マネージャーとプレイヤー」という言い方などで、働く人をプレイヤーと呼ぶことがあります。「游ぶ」ということですが、ただ游んでいるわけではなく、人间にしかできない创造的な営みを行っているということが本质でしょう。
これからは、「ワークはできるだけ础滨に任せ、私たちはプレイしよう」「人间にしかできないことに取り组もう」、そういう世界になっていくでしょう。础滨に、自由を创り出してもらう。その自由をつかって、存分にプレイし、価値の创造に挑戦しましょう。
东京大学の教员は、研究者でもあります。そして、研究者は皆、プレイヤーです。研究者がプレイする原动力として、「なぜ研究をしているのですか?」と问われれば、おそらく全员「楽しいから」というのが本音だと思います。
この年まで、楽しい研究をプレイし続けてこられたのは、幸せなんだろうと思っています。
まさに论语にもある、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」です。
皆さんにも、楽しいという感情を常に追い求めて欲しいと思います。
そしてそれが、私が考える、「皆さんに二年间の前期课程をどのように过ごしてほしいか」とつながります。
それは「よく学び、よく游べ」です。
ここで言う「よく游べ」の「よく」には、「たくさん」とか「効率的に」ではなく、「深く」という意味を持たせたいと思います。
授业や研究でもいいし、部活动?サークル活动でもいい。
趣味に时间をつかうこともいいでしょう。
友人と何かを体験する。新しい出会いを见つける。
自分にとって、何が一番楽しいのか、何をやっていれば寝食を忘れられるのかを见极めてほしいと思います。
それが特定の分野の研究や将来の进路につながるならとても素晴らしいですし、逆に、むしろとことん自由で非効率的な游びであったとしてもよいと思います。
日本でいちばん「よく学ぶ」ということに努力されてきた皆さんだからこそ、日本でいちばん「よく游ぶ」経験も深めてほしい。
それこそが、来る础滨时代に最も必要とされている、人间にしかできない创造的な営みをプレイすること、楽しむことの素地を育むのだと思います。
前期课程は「自分の梦を语るためのボキャブラリーを育む时间」です。
だからこそ、知识を蓄えるだけではなく、さまざまなことを能动的に実践し体験していただきたい。
さまざまなことにチャレンジし、「よく学び、よく游ぶ」二年间にしてください。
始めに申し上げた通り、教养学部は25年后の2049年に100周年を迎えます。
皆さんは、この节目となる2049年に向けて、中心となって活跃していく世代です。
そのためにも、教养学部前期课程での皆さんの学びが、実り豊かであることを祈念して、教养学部长としての式辞といたします。
令和6年4月12日
东京大学教养学部长
真船 文隆
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