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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

クリームイエローの表紙

书籍名

文学との诀别 近代文学はいかにして死んだのか

着者名

ウィリアム?マルクス (著)、 塚本 昌則 (訳)

判型など

344ページ、四六判、上製

言语

日本语

発行年月日

2019年3月25日

ISBN コード

978-4-8010-0395-8

出版社

水声社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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十九世纪末から二十世纪初めにかけて、文学に别れを告げる诗人が続出した。诗集『地狱の一季节』の最后に「别れ」を书き、アフリカで武器商人となったランボー、文学への诀别の书「テスト氏との一夜」を着し、二十年近く沉黙したヴァレリー、「チャンドス卿への手纸」で言叶の崩壊を语り、诗を断念したホフマンスタール。この叁つの作品は、文学への诀别の书として、现在もなお読み継がれている。若い诗人たちが文学への疑念を缀り、実际に诗作を中断する身振りを繰り返した背景に、いったい何があったのだろうか。
 
フランスの批评家ウィリアム?マルクスは、この伝染性のふるまいのうちに、文学の価値下落の徴候を読み取っている。文学は当时、社会の现実をえぐりだす力を失い、読者の信任を失いつつあった。人々は文学が価値を失ったと心の中では知っていたが、いまだに価値があるかのようにふるまっていた。だからこそ、若い诗人たちが文学を捨て、何の未练もなく去ってゆく姿にはインパクトがあった、というのである。実际、文学という言叶に、信頼のおけない书き物という不名誉な意味がまとわりついている现在ならば、十代の天才诗人が文学に别れを告げても、それほどの反响は引き起こさないかもしれない。
 
では、なぜ文学の価値が凋落したのか。マルクスは十八世紀末以降、文学に過剰な価値があたえられ、作家が社会エリートとなり、その作品が社会生活から遊離して、次第に価値を失ってゆく栄枯盛衰のダイナミズムを描きだしている。ボワローの崇高さからロラン?バルトの快楽へ、リスボン大地震からアウシュヴィッツ強制収容所へ、動物磁気からカルチュラル?スタディーズへ、ヴォルテールの戴冠からベケットの沈黙へ、マルクスは近代ヨーロッパの歴史をフレスコ画のように描きだす。革命後、急激に変貌する時代の姿を捉える力を認められ、ロマン主義時代には司祭と同一視された詩人が、やがて社会に背をそむける。マルクスが注目する転機は、「芸术のための芸术」を標榜し、文学に社会から自律した価値を認めた芸术家たちの登場である。彼らは現実を表象することを拒み、自律した芸术世界を創りだそうとした。人々の生活から切り離された言葉に、どうして生き延びる力があるというのか。文学は社会に仕える司祭から、象牙の塔に閉じ籠もる集団のものとなり、次第に言うべき言葉を失っていった。
 
ウィリアム?マルクスの論は、日本のように、文学が俳句、短歌、随筆などの形で、日常生活のすみずみに浸透している社会から見れば、やや驚きの内容を含んでいるかもしれない。しかし、明治以降の文学が、マルクスの記述する西欧文学のあり方に大きく影響されてきたことも事実だろう。その意味での文学という言葉は、文化 (カルチャー)、あるいは表象 (建築、演劇、映画、マンガ等) という言葉に置き換わり、廃れようとしている。
 
しかし、文学に関するすべてが本当に失われつつあるのだろうか。虚构に基づきながら、他に置き换えることのできない、自己の身体感覚に深く根ざした思考を可能とする文学は、本当に灭びようとしているのか。マルクスは本书の最后に、日常生活を确かな笔致で描く、现代作家たちの试みを取りあげる。古典主义时代から现代にいたる数多くの文学作品を縦横に论じるウィリアム?マルクスの本には、文学の中で灭びつつあるものと、现在も确かに息づいているものを见分けるための数多くの示唆が含まれている。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 塚本 昌則 / 2021)

本の目次

序章 文学は変わらないという考え方と縁を切るために
拡张、自律、凋落/文学概念の流転の歴史/年代记の増大

第1章 文学との诀别
生きている酔いどれ船/テスト氏の沉黙/チャンドス卿のパラドックス

第2章 偉大な司祭たち
崇高の理论から文学という宗教へ/文学の神格化と动物磁気による恍惚/言叶の透明さ/神殿の番人

第3章 自律性の獲得
芸术のための芸术の起源/一八三三年の戦い/社会の心的外傷/人生に逆らう文学

第4章 形式への埋没
形式概念の起源――ニーチェの果たした役割/新たな思考の枠组み――音楽/注釈が不可能/文学の劣等性/前卫の反=音楽的态度/フォルマリズム批评の限界

第5章 災厄 (デザストル) の詩
イデオロギーの地震/考えられないことを诗にする/唄で终わるが世のならい/1703年の大嵐/
ココニモ文学ニ注グ涙アリ

第6章 詩の敗北 (デザストル)
アドルノと诗――恨みの系谱学/灾厄の诗から诗の败北へ/アウシュヴィッツの后で

第7章 相次ぐ自殺
书く行為の终わり――沉黙という强迫観念/修辞学者の曖昧さ/作家の终焉――テスト氏と何人かの自杀者たち/书かない作家の神话/批评の终わり――実証主义の退廃/快楽のめまい/意味の廃墟と文化における没落

終章 極度に意識的な文学
叁つの局面&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;その后は?/极度に意识を研ぎ澄ませた文学が直面した危机/ベケット、あるいは别れの超越/実験の时代
 

関连情报

原着:
William Marx, L'adieu à la littérature — Histoire d'une dévalorisation XVIIIe-XXe siècle, Minuit, 2005

 
书评:
星野太 評 (artscapeレビュー 2019年8月1日号)

 
イベント:
NEW! 仏文研究室主催 ウィリアム?マルクス先生(コレージュ?ド?フランス教授)講演会「ヴァレリーの詩学講義 ― ついに刊行された記念碑」開催のお知らせ (東京大学大学院人文社会系研究科フランス語フランス文学研究室 2022年6月8日)


山本貴光×塚本昌則トークイベント 「これからの文学問題」 (神楽坂モノガタリ 2019年4月19日)

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