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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

エメラルドグリーンの海の写真

书籍名

温暖化に挑む海洋教育 呼応的かつ活动的に

判型など

280ページ、础5判、上製

言语

日本语

発行年月日

2020年3月25日

ISBN コード

978-4-7989-1626-2

出版社

东信堂

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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近年の日本の教育论议は、「批判」という视座を矮小化してきたのではないだろうか。「批判」は、社会の构造的?制度的な问题を析出し、その改変をめざすことであり、他人の议论の瑕疵を指摘したり、自分の考え方と违うことを非难することではない。
 
たとえば、「学力」とは何か、何が「学力」と呼ばれるべきか、という问いも、もはや过去の问いのように见える。「学力」は、「コンピテンシー」と呼ばれようが、「新しい能力」と呼ばれようが、だれもがめざすべきもの、と见なされ、人びとの関心は、所定の「学力」を高める「方法」にのみ、向かっているように见える。
 
私が问いかけたいことは、こうした「学力」は、人が生存するための根本条件に向かって机能しているだろうか、である。人が生存するための根本条件は、身体的?物理的に生きて暮らせることである。それは、空気や水や光や食料があるだけではなく、生命が存続するうえで适切な状态であること、つまり「ハビタビリティ」(生存を可能にする条件)である。ふだん问われていないこのハビタビリティが问われるのは、気象灾害や原発事故で人命が失われたり、大きな被害が生じるときであるが、近年の気象灾害は、私たちのハビタビリティが危机に濒していることを示しているだろう。私たちのハビタビリティは、温暖化によって、この100年くらい、ゆっくりと、しかし确実に失われつつある。
 
にもかかわらず、温暖化によるハビタビリティの危机は、なぜか人びとの関心を大いに引いているとはいえないように见える。人びとは、自分にとって「不都合な真実」を、拒絶する倾向にあるのかもしれない。
 
现代日本の教育をふりかえっても、教育政策は、「异常気象」「热波袭来」というシグナルをたびたび経験しながらも、まだ「学力」への欲望を肥大化させ自明化しているように见える。温暖化は、専门家と政治家に任せるべきことではなく、子どもたち?若者たちをふくめて、すべての人が担い行うべきことではないだろうか。
 
温暖化というハビタビリティの危机に対し、一人ひとりが切実な「危机感」をもって行动するために、教育学は何をするべきだろうか。それは、あらためて「人间的」であることを考える教育を语ることではないだろうか。「人间的」であることは、他者を他ならぬ「あなた」として感受することである。他者の声なき声を聴くことである。未来を夺われるかもしれない子どもたちの声を、そしてまだ生まれていない子どもたちの声を、さらに絶灭する生きものたちの声を、聴くことである。
 
私は、私たちが「人间的」に行动しようとするかぎり、海洋教育は、たんなる海洋の知见を教える営みにとどまるべきではなく、他者?他の生きものをふくむ、私たちすべての生存の基盘を保全するための、呼応的で活动的な営みとして、语りなおされるべきである、と思う。本书は、そうした语りなおしのささやかな试みである。

 

(紹介文執筆者: 教育学研究科?教育学部 教授 田中 智志 / 2020)

本の目次

序 章 海洋教育の再构成へ   田中智志
第1章 世界の海洋教育を概観する   田口康大
第2章 日本の海洋教育の试み――温暖化に挑む  田口康大?茅根创?丹羽淑博
第3章 公共善としての海へ――呼応的な人间性   田中智志
終 章 海洋教育がめざすもの――活動的な主体性   田中智志
附録――調査報告書 (抜粋)

関连情报

イベント / フォーラム:
「海の日」海洋教育シンポジウム2018開催 - 海に関する学びの普及?促進を図る (国土交通省、日本財団、総合海洋政策本部 2018年7月20日)

 
第136回海洋フォーラム 「海洋教育を支える理念について」(海洋教育パイオニアスクールプログラム) (SPF笹川平和財団 2016年11月28日)

 
東京大学本郷キャンパス安田講堂「海の学びが一堂に会する ー全国海洋教育サミット」 (みなとラボ 2015年12月5日)

 
関连记事:
みなと小頑張れ! ~東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センターからお見舞いのメッセージが届きました! (小牟田市ホームページ 2020年8月11日)

 

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