
书籍名
越境ブックレットシリーズ 教育の理念を象る 教育の知识论序説
判型など
160ページ、础5判、并製
言语
日本语
発行年月日
2019年6月25日
ISBN コード
978-4-7989-1567-8
出版社
东信堂
出版社鲍搁尝
学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)
英语版ページ指定
『グリム童話』に採録されているドイツの民話「白雪姫」(Schneewittchen) に、魔法の鏡が登場する。それは、白雪姫の継母である王妃がもちこんだ不思議な鏡で、王妃の問いかけに対し、かならず真実を答えた。「世界でいちばん美しい人はだれ?」「それは、王妃、あなたです」と。この民話は、さまざまな含意をもつが、人が真実を求めていることも、その一つだろう。粉飾や虚偽のない、本当のことへの希求は、人の固有本来の営みといえるだろう。
中世以降、ヨーロッパのキリスト教思想のなかで、見えないが大切な「真実」(aletheia) を映しだす「心そのもの」は、「鏡」(speculum) と呼ばれてきた。 この「鏡」が映しだす「真実」は、「誤り」(wrong) に対立する「正しい」(right) ではない。それは、超越的な〈見えないもの〉としてさまざまに象られてきた。中世の哲学(スコラ学)において「知識」(scientia) は、しばしばこの「鏡」とともに「真実」に向かう知であった。
しかし、近代以降、この「鏡」は、忘れられていった。現代では、あの「知識」の場所に、いわゆる「情報」(information) が位置している。「情報」は、たんに事実とおぼしき表象である。それは、「真実」に向かう必要などない。それは、およそ問題解決に有用であればよい。客観性も、それが有用であるかぎりで有価値である。しかも、その有用性も、期間限定のそれである。早晩、それは無用になる。無用の情報は、飽きられ、捨てられる。
こうした、知識が情報化?有用化されるなかで、かつて語られた「真実」は、前時代の遺物か、老境の好事になりつつあるかに見える。学問の世界でも、それは、形而上学的、宗教的な妄想になりつつあるかに見える。教育も例外ではない。現代の教育はすでに、有用性を尺度として測定される技术的活動と化しているように見える。いいかえれば、それは、生動的な活動ではなく、目的合理的な操作として、象られている。
しかし、教育という営みが、人が <よりよく生きようとする> 事実を前提としているかぎり、教育学は、その事実を語ろうとするだろう。むろん、その事実は、かつての「真実」のように <見えないもの> であろうが、そうだからこそ、語ろうと試みられるだろう。その試行を支えているのは、根拠ではなく、希望である。根拠を超えてもちつづけられるのぞみが、希望であるとすれば。本書も、そうした試みの一つである。
(紹介文執筆者: 教育学研究科?教育学部 教授 田中 智志 / 2020)
本の目次
第1章 何が「人格」と呼ばれるのか──ペルソナの歓び
第2章 何が「陶冶」と呼ばれるのか──人の自己创出
第3章 何が「経験」と呼ばれるのか──おのずからの想像力
第4章 何が「知性」と呼ばれるのか──见えない全体を象る
第5章 何が「超越」と呼ばれるのか──想起される歓び
结 论 教育の理念を象る──犠牲の机制を离れて
関连情报
政策オピニオン: 田中 智志 (東京大学大学院教育学研究科教授)「連帯と共存在 ―コロナ禍と教育学―」 (一般社団法人 平和政策研究所)