日本を解き放つ
この本は、小林康夫先生との共着です。共着といっても独立した论文が并んでいるようなものではありません。二人で7本のエッセーを书き、7回の対谈を行ったものを、编集の力によってまとめあげたものです。この形式を选んだのは、哲学が何よりも対话であることをもう一度思い出したいということがありました。対话にはあらかじめ决められた结论があるわけではありません。问いに问いを重ね、时には撤退し、时には勇み足で前につんのめるという経験そのものです。そうした対话を通じて、日本の哲学や思想をより広い文脉に置き直して、新しい配置のもとで、これまで触れることの少なかった姿を明らかにしたい。これこそがこの本の望みでした。それぞれがフランス哲学と中国哲学を主たる足场にしている二人だからこそ、専门家ではない仕方で、日本哲学や思想に関与する冒険ができたのだと思います。それは、700页を超える大着『日本哲学小史』の着者であるトマス?カスリスへの友情に支えられた冒険でした。空海に始まり、武満彻で终わったのですが、武満さんの小林康夫さんへの手纸は是非见ていただければと思います。哲学が抽象的な概念の学にとどまらず、人のあり方に支えられていることがよくわかるかと思います。象徴的なのは、武満さんの最晩年のレシピを书いたスケッチ帖のくだりです。小林さんはそれをこう述べます。「たとえば「鲍めし」だっら、「米はといでだし昆布をいれておく。ごく少量の塩」、「鲍は一糎角五粍厚ていどの喰べ易い大きさに切る。酒で洗う。」と下こしらえからして细やかなんです。ほんとうに神経がすべてに行き届いている。病床にあって、人生の最后に临んで、こういうものが50というオーダーで描かれ、书かれたということに、わたしは心うたれます。どんな哲学的な言叶よりも、この表现が、地上における人间の姿を美しく语っているというような感じかな。」このような生のあり方が、现在の情报に翻弄されているわたしたちのあり方と鋭い対照を示していることは明らかです。再び、小林さんを引くと、别の箇所でこう述べています。「いま、情报があふれればあふれるほど、われわれはますます意味=感覚から远ざかって、意味が欠乏しつつあるんです。しかもものすごく意味が薄くなっている。つまり情报という名の膨大な「薄い意味」を毎日のように食べながら、なんの「意味」にもなっていない。」こうした状况に抗して、わたしたちの本は、より身体的な仕方で、生のあり方に密着しながら、日本の哲学や思想を解き放つ键を手渡そうというものです。なお、この本に収めたは、こうした思いを见事に表现してくれています。
(紹介文執筆者: 东洋文化研究所 教授 中島 隆博 / 2019)
本の目次
[巻頭対談] 日本をつかむ
火と水の婚姻 日本文化の本質をつかむ インティマシーとインテグリティー 空海のインティマシー/インテグリティー 日本语という根源的条件 日本语の特性 「甘え」の構造 インティマシーと告白 内面と内奥 親鸞の「信」 「声」と「信」 「寄る」 物のカタリ トレーニングから普遍へ 言语の根源性をどう把握するか 知性を鍛える
第1部 <ことば> を解き放つ
複合言语としての日本语――空海『声字実相義』(小林康夫)
日本のプラトン 深遠な言语の哲学 人は誰でも〈ことば〉する 身口意――からだ?ことば?こころ 声字分明にして実相顕わる 梵語によって理解する 和?漢?梵 複合語――「即」の論理 漢字による複合語 複合言语――表音文字と表意文字 漢字と仮名の二重性 絵文字が加わった超文字文化
[対談1-1] 空海から出発する
「即」は実践的論理である マルチリンガルな言语経験 漢字の問題
先人とともに哲学する――トマス?カスリス『日本哲学小史』(中岛隆博)
ともに哲学する インティマシーあるいはインテグリティー 行きつ戻りつするバイ指向性 本居宣長と荻生徂徠――言语とリアリティーの関係 指示と表現 バイ指向性を体現した空海 日本哲学は空海のリフ 精神のふるさと
[対談1-2] インティマシーからインテグリティーへ
本居宣长がいま语るとしたら 歌からはじめよう インティマシーからインテグリティーへ 易のインテグリティー カントの図式论と想像力 われわれの金刚界曼荼罗をつくり直す 理由=理性がない世界をどう生きるのか
第2部 <からだ> を解き放つ
受け継がれる芸――世阿弥『花镜』(小林康夫)
文化を受け入れる「器」 ドイツ人外交官の『贬础搁础――人间という大地の中心』 フランス人ヴォイス?トレーナーの「肚」 もうひとつの〈からだ〉の可能性 観世寿夫の「カマエ」と「ハコビ」 物真似と天女舞からの「幽玄」 老木に咲く「花」
[対談2-1] 世界で注目される肚
神仏のダブル?トラック 川端康成の温泉の女たち エロスの丧失 ダンスと自由 『荘子』の浑沌
「自然」ではなく「作為」を――丸山眞男「近世日本政治思想史における「自然」と「作為」」(中岛隆博)
丸山眞男が求めつづけた政治的決断 誰が規範をつくったのか 享保の改革は復古的 「自然」を捨て去ろうとした丸山 「作為」を体現した『荀子』 かつての「後王」としての「先王」 言语間の変換コード 思考の出発点としての世界の複数性 もっとも創造的であった「古」 先王の道と礼楽刑政 徳川幕府が先王の道を実現する 「古」の反復可能性 徂徠が解放した「魔物」に可能性を見出す
[対談2-2] 根拠のないなか決断する
丸山が徂徠に见出したもの 自然に埋め込まれない思考の可能性 根拠のないなか决断する 礼とは「かのように」である 政治决断における敌
第3部 <こころ> を解き放つ
近代の衝撃を受け止めた <こころ> ――夏目漱石『こころ』(小林康夫)
方的に伝えられる手纸 父亲を见捨てて东京へ 秘密を委ねられる 「黒い光」に立ち会う 西欧近代を生んだ「告白」 日本の「随」 死における日本の逆袭 「先生」の「妻」
民众のための学――森鸥外『大塩平八郎』(中岛隆博)
未だ醒覚せざる社会主义 「国民的道徳心」を陶冶した日本阳明学 明治维新は阳明学の精神を体现した 傍観者、鸥外 鸥外の切迫感 民众のための「赤い阳明学」 地上的普遍性を目指す大阪阳明学 社会问题を解く阳明学 大塩のなかにある「自然」 中上健次に苏る「民众のための阳明学」
[対談3] 他者とともに変容する
明治の終わり 遺書というもの 近代的な死 秘密を継承する 破壊される自己 鷗外にとっての歴史 近代国家の問い直し 人の資本主義 他者とともに変容するHuman Co-becoming
第4部 日本から世界へ
せめぎあう异形のなかに自分を见出す――武満彻『树の镜、草原の镜』(小林康夫)
日本文化の「问う力」 西洋音楽と日本の「音」がぶつかりあう バリ岛の音楽との出会い 宇宙的な〈いのち〉
[対談4] 世界と向き合う芸术
3点测量 官能的な営為 吃音 武満さんからの叶书 ジョン?ケージからの手纸 异质なもののぶつかりあい 井筒俊彦「鸟のごとし」 翻訳不可能性 批评と哲学 大学で哲学する 武満彻から坂本龙一へ 都市―地球―カタストロフィー 病床のレシピノート
おわりに――ともに思考する友人へ (中島隆博)
関连情报
刊行记念対谈=小林康夫虫中岛隆博 「知を生きる、水は流れる」 (週刊読书人ウェブ 2019年2月15日)
ワークショップ:
[リポート] 第3回国際ワークショップ「日本哲学と東京大学の哲学」 (东洋文化研究所 2019年1月22日)
刊行イベント:
小林康夫 × 中島隆博「日本の〈美〉を解き放つ」『日本を解き放つ』(东京大学出版会)刊行記念 (ジュンク堂池袋本店 2019年1月31日)
书籍绍介:
新刊紹介 (REPRE Vol.36 2019年6月14日)
おすすめ 「日本を解き放つ」 世界と向き合い日本文化伝える (朝日新闻 2019年3月9日)