ことばを纺ぐための哲学 东大驹场?现代思想讲义
本書は東京大学教養学部で2014年冬学期に行われたオムニバスのテーマ講義「グローバル化時代の現代思想——東アジアから」を担当した教員たちが講義内容をもう一度整理して書き直したものである。彼らはみな、「グローバル化時代における現代思想——概念マップの再構築」という科研費の共同研究に関わった研究者たちだ。中島隆博さん (本学东洋文化研究所)、梶谷真司さん (本学総合文化研究科)、清水晶子さん (本学総合文化研究科)、原和之さん (本学総合文化研究科)、石原孝二さん (本学総合文化研究科)、星野太さん (金沢美術工芸大学)、村松真理子さん (本学総合文化研究科)、そして石井剛が、それぞれ一つか二つの動詞、しかも和語の動詞を選び、それについて、自分の研究に即して語っている。2012年秋にスタートしたこの科研費プロジェクトは、2011年の東日本大震災ならびに原子力発電所の事故―「3.11」の衝撃冷めやらぬ時機に企画されたものだった。わたしたちは、このプロジェクトを通じて「人間を取りもどす」ことを願っていた。「現場」を訪ねることで思想の身体感覚をもう一度とぎすますことが不可欠だと感じ、それによってこそ、「人」をトータルに問う哲学が取りもどせると考えた。そこで動詞を、しかもわたしたち日本语の世界で生きている人々にとって、最も身体感覚に近いと思われる和語の動詞を選んだのだ。
このプロジェクトは、「概念の再マッピング」というアジェンダをともなうことによって、「知の地殻変动」をもたらそうとする取り组みでもある。身体感覚に最も近い动词について书くことは、それを书くわたしたちと対象との関係を问い直すことであり、それは、わたしたちが世界と関わる行為のありようを反省的に捉え直す行為でもある。そしてそれは、「哲学」という特定の学科の知を指し示すために使われるようになった名词を、「哲学する」という、过程にある运动として捉えようとする试みだといってもよい。
「食べる」、「味わう」、「话す」、「闻く」、「触れる」、「知る」、「分ける」、「待つ」、「耐える」、「うたう」、「书く」、「隠れる」といった语が本书の着者たちが取り上げた动词だ。そして、これらをめぐる思考と纺がれたことばは「哲学する」运动として、人々に连锁していくはずだろう。「ことばを纺ぐ」というタイトルによって、行為が生じる「现场」との往还の中で、复数の人々と共に、ことばによる希望をつなぎたい。それが、本书のプロジェクトに関わった研究者たちの共通の思いである。「哲学する」とは毕竟するところ、「希望する」ことであるのだ。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 教授 石井 剛 / 2019)
本の目次
I 日常という场で
&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;食べる?味わう 中岛隆博
&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;话す?闻く 梶谷真司
&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;触れる 清水晶子
&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;座谈会 来たるべきことばのために 前篇
II システムに抗して
知る 原 和之
分ける 石原孝二
待つ?耐える 星野 太
座谈会 来たるべきことばのために 后篇
III <文の共同体> へ
うたう 村松真理子
書く?隠れる 石井 剛
あとがき 石井 剛
略歴