织田信长権力论
本书は、织田信长の権力がいかなる仕组みを通じて発挥され、そこにどんな人びとが関わったのか、足利义昭に近仕した武家?公家の动向や、寺社?朝廷に関する史料を検讨して明らかにしようとした论文を集めた论文集です。
そもそもわたしは织田信长を研究しようと志したわけではありませんでした。研究を出発させるにあたり、そのようなことを考えたことすらありませんでした。
ではなぜ、このような信長に関する論文集を出すに至ったのか。本サイトの別の本 (『大日本史料』第十编之二十九) のところでも述べたように、仕事として、信長の時代の史料集を編纂することになったからです。
史料集の编纂は、それまで积み重ねられてきた多くの研究に学びながら进められています。その意味では、先行研究を土台にして问题点を见つけ、自分なりの切り口で対象について研究调査をおこなう个人研究のやり方と変わりません。ひとつひとつのできごとについて、それに関わる史料を编む作业は、ひとつのレポート、场合によってはひとつの论文を仕上げるほどの作业量が必要になります。
ただ史料集の编纂が个人研究と异なるのは、个人研究が自分なりの视角から、素材となる史料を取捨选択して歴史像を明らかにしようとするのに対し、ひとつのできごとに関わる史料を可能なかぎり集め、それらを恣意的な选択なしに研究の素材として提供する仕事であるということです。
そのような立ち位置から、织田信长に関わるできごとについての史料编纂をしてゆくなかで、自分でも不思议に思ったことがありました。
集めてきた史料から、いままで自分が植え付けられてきた (恐らく世間一般もそう考えている) 信長像、つまり、絶対的な権力を志向し、古い考えにとらわれず、自らに反する者を排除して突き進んでゆく、他を圧する強くて怖い人間、そのような姿が感じられなかったのです。逆に接した史料から見えてきたのは、既存の秩序をできるだけ尊重し、対立する双方から意見を聴いて、無理せずに物事を判断しようとする、保守的、協調的、理性的な姿でした。朝廷?天皇の上に立とう、そんな姿勢は微塵もないのです。こんな信長像はおかしいのか、ひとつひとつの論点について、その都度くりかえし信長研究の専門家にたしかめたほどでした。
ともかくこのような问题意识から、とくに本书の中核となる第二部?第叁部の各论文はできあがりました。近年学界では、强権的な信长像の再検讨という动きが活発になり、本书もそれに棹さしたものであります。むしろ、この潮流の一端を担っているという评価を与えて下さる方もおり、ありがたいと思っています。このような考察が可能だったのは、わたしがむしろ信长という研究対象に思い入れがなく、まっさらな立场から向き合うことができたからでしょう。崇拝?敬意や悪意などさまざまな感情抜きに、客観的立场で信长に向き合えたというわけです。
ただ问题は、こうやって一书にまとめると、今度は协调的?保守的?秩序重视という像を前提としてしか信长を见なくなる危険性があることです。いくら客観的立场を意识しようとしても、结局信长のやることを一定の角度からしか解釈しなくなる、そのために史料を自分の都合のいいように选びかねません。自分でもそんな姿势が无意识のうちに染みこんでいるような気がしています。これはあぶない徴候です。
ではこの危険を回避するにはどうすべきなのか。结局以前のように、あるできごとについて、関係する史料をとにかく集め、それを読みこんでゆく、そんな史料集编纂の作业に没头することにより、そこから浮かんできた信长の姿を提示する。それしかないでしょう。浮かんできた像が、これまで自分が考えてきたものと违ったならば仕方ない。谦虚に修正してゆくだけです。
信长という人物が、日本史上もっともイメージが先行している人物の一人であることを否定する人はいないでしょう。その実像を明らかにするためには、いま述べたような基础作业を积み上げてゆくしかありません。こういう方法は、何も信长の研究、日本史の研究に限らないはずです。いかなる学问も基础研究なしに成り立ちません。日本史における信长像追究のための研究は、まさにそんな基础作业の重要性を象徴的にあらわすものだと思っております。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 准教授 金子 拓 / 2017)
本の目次
第一部 信长と同时代の人びと
第一章 室町幕府最末期の奉公衆三淵藤英
第二章 久我晴通の生涯と室町幕府
第三章 織田信直と「伝織田又六画像」
第二部 信长と寺社
第一章 賀茂別雷神社職中算用状の基礎的考察
第二章 春日社家日記のなかの織田信長文書 ―大和国宇陀郡の春日社領荘園と北畠氏に関する史料―
第三章 法隆寺東寺?西寺相論と織田信長
第四章 織田信長の東大寺正倉院開封と朝廷
第四章附録 三蔵開封日記
第叁部 信长と朝廷
第一章 天正二年~五年の絹衣相論の再検討
第二章 天正四年興福寺別当職相論と織田信長
第三章 天正四年興福寺別当職相論をめぐる史料
第四章 天正九年正親町天皇譲位問題小考
第五章 誠仁親王の立場