中世から近世へ 秀吉の武威、信长の武威 天下人はいかに服属を迫るのか
1570年代からの20年ほどの间に日本は、戦国の騒乱で分断された社会が、织田信长と豊臣秀吉という二人の天下人によって统合されていく、いわゆる天下统一の过程を辿っていった。中央では信长?秀吉が统一を进めようとする一方で、地方では军事的な地域権力者となった戦国大名が、お互いの势力圏を持って林立している。彼らをすべて支配下に组み込んだ时、日本は「统一」されるわけだが、登场したばかりの天下人が彼らを従属させるのには时间がかかり、かといって武力で讨伐していくのもまた様々なコストの浪费につながる。どうすれば彼らを従顺に服属させることができるか、天下人は大きな课题に直面していたのである。
本书は、そうした天下人と大名の外交的な駆け引きの様子を、「武威」をキィワードにして考えてみたものである。武威とは、军事的な武力そのものだけでなく、武力を持つ者が他者の服属を募り、敷衍して及ぼすさまざまな影响力をも含む言叶である。天下人が自らの「武威」を高らかに语り、そして地方の大名たちを服属させていく様子を、当时の古文书を読み解くことから考えてみた。时には眉に唾するような巨大な武威を语り、服属した后の戦争がない平和な状态を自分の手柄と强调して、武家政権の為政者として自分がいかに优れているかをアピールする。虚と実の入り混じった宣伝にも、天下人が热心に取り组んでいた様子が见えてきた。
武威の语られた史料を読み込み、同时期の状况のなかで虚と実を検証していくと、信长と秀吉には大きな违いがあることも分かってきた。二人ともに戦国の合戦を胜ち抜いて台头してきたのだが、「武威」の语り方、そして「武威」をもとにした服属の要求の仕方が、それぞれに异なるのである。その违いは、二人の天下人の个性の差ともいえるが、それぞれの置かれた政治的な环境の差异を示しているとも考えられる。そんな二つの武威を现代语に訳しながら闻き分けることで、この时期特有の、政治の言叶が持っているものの内実に迫っている。
天下统一というと、圧倒的な军事力によって天下人が地方を饮み込んでいくようなイメージを持たれることが多い。しかし行使される大规模な武力の里では、「武威」を语り、服属を求めようとする动きも确実に存在した。その天下人と大名のせめぎ合いもまた、この时代ならではの兴味深い现象なのである。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 准教授 黒嶋 敏 / 2019)
本の目次
天下人と戦国大名
武威と远国
本書のねらい (1) 曖昧な「惣無事令」の再考
本書のねらい (2) 信長はどこまで達成したのか
第一章 秀吉の九州「停戦令」
秀吉、天下人への道
秀吉と九州の大友氏
九州停戦令を出す
事务レベルからの停戦令通达
なぜこのタイミングに出されたのか
大友氏を不安にさせるもう一人の当事者
毛利輝元の野望 / 島津氏は停戦令にどう対応したか
臣従していた岛津义久
九州の国分け案をめぐって
はしごを外された岛津氏
辉元の苦境と変节
豊臣势の出阵という圧力
军势を送る侧の状况
军势を迎える侧の状况
豊臣势を破った戸次川の戦い
政権内部でコンセンサスのない出兵
秀吉の萨摩入り、义久の降伏
妥协の产物だった戦后処理
新たな武威の提唱へ
それは「惣无事令」と呼べるのか
第二章 秀吉の奥羽「惣无事」
奥羽の伊达辉宗と秀吉
父から息子政宗へ
政宗による芦名攻め
秀吉の纷争调停と军事的圧力
上杉景胜の上洛と「叁家和睦」
徳川家康「赦免」に揺れる东国
家康の上洛と东国问题の新展开
つかみにくい「惣无事」の年次
家康と富田一白と「惣无事」
富田一白の野心
それは関东?奥羽「惣无事令」なのか
北条氏の従属と领国の确定
政宗にも届く上洛の催促
摺上原の戦いで胜ちすぎた政宗
政宗ラインの返信は无视できない
政宗自身が上洛せよ
政宗、小田原に出马する
秀吉の奥羽仕置
喧伝の変质と政権の成长
第叁章 秀吉の武威と静謐
古くからの因縁の秀吉と佐々成政
主従関係の起点をめぐる认识のズレ
越中攻めと军事的な屈服
成政の肥后拝领
肥后一揆の戦火と混乱
切腹命令
公仪性ではなく慈悲を语る秀吉
秀吉による北条氏の弾劾
厄介な沼田领问题
北条氏政、上洛せず
秀吉のカリスマ性
対応する武力と静謐
秀吉の武威の特徴
第四章 信长と奥羽
织田信长という天下人
信长と奥羽の関係の开始
伊达辉宗と远藤基信
信长からの返书
来年は武田攻めを行う
辉宗、応ぜず
长篠の戦果と影响
信长への一味は天下のため自他のため
信长が见た日本诸国の服属状况
将军を超えた信长
信长と上杉谦信との诀别
能登と男鹿の感覚的な距离
谦信の死と内乱
柴田胜家の语る「天下」
信长の「一统」に期待する辉宗
信长の武威の変化
第五章 信长と九州
将军足利义昭と九州
大友を始め手に入り候
义昭と岛津义久
激情に身を焦がして
激情に流されて
义昭と瀬戸内海
岛津氏による南九州の制圧
信长から大友氏への宛行状
大友―岛津の和睦调停
前久による岛津义久の説得
义久の真意は军事同盟の受诺
両にらみの外交姿势
九州における信长の武威
第六章 信长の武威と东夷
美浓から信浓への侵略
しおしおとした出阵
信长から京都への戦况报告
寿がれる信长の武威
浅间山の喷火と神々の戦争
ある僧侣が见た圣徳太子の梦
梦を武器に支援を取りつける
热狂に火をつけたのは谁か
首を悬ける场所とその意味
信长と狱门の首
信长は中世的武威を発信したのか
実际の东夷の発信者
信长を将军に推任する动き
见立ての政治学
将军と「朝敌」
梦まぼろしの「静謐」
终章 「武威」から见えた二人の违い
信长の武威、秀吉の武威
それぞれの関心の所在が异なる
武威の系谱の过去とその后
◎史料编