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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

鸟居强右卫门の顔イラスト

书籍名

鸟居强右卫门 语り継がれる武士の魂

着者名

判型など

300ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2018年9月

ISBN コード

9784582477412

出版社

平凡社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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わたしの勤務する史料编纂所は、「本邦に関する史料の研究、編纂及び出版」を行う研究所として設置されました。史料の研究、およびそれにもとづく史料集の出版のため、全国各地にある史料を複製のかたちで収集し、それらを研究?編纂に利用しています (また収集した史料は閲覧室やインターネットを通じて公開しています)。
 
复製というのは、戦前までだと笔写という方法で収集しており、その后マイクロフィルムによる写真撮影に移行し、现在ではデジタルカメラによる撮影が主になっています。その大半は、教员自らが所蔵者のもとに出向き、自分の手で撮影したものです。
 
だからといって、史料编纂所には実物 (原本) がないというわけではありません。購入や寄贈といったかたちで原本も収蔵しており、その代表が国宝に指定されている島津家文書です。
 
所蔵する原本史料の多くは文献史料ですが、まれにモノ資料も含まれています。その代表的なもののひとつが、「落合左平次道次背旗」(落合左平次指物、以下「背旗」とします) です。戦国時代の武士落合左平次が、いくさのさい背中に括りつけて戦ったとされる旗指物の原本がそれで、白地に、磔になった前身真っ赤の、褌一丁の男が描かれた迫力ある図柄は、一度見たら忘れがたい印象をあたえます。
 
ここに描かれている人物は鸟居强右卫门と言い、天正3年 (1575) 5月21日にあった長篠の戦い直前、武田勝頼の軍勢に囲まれた長篠城から、援軍を乞うため織田信長?徳川家康のもとに派遣され、戻ってきた時に捕まって、味方に「援軍がもうすぐ来る」と叫んだために処刑されたとされる人物です。
 
ちょうどわたしの担当する『大日本史料』第十編では、この長篠の戦いに関係する史料編纂にかかっております。2010年度より史料编纂所が共同利用?共同研究拠点に認定され、そのなかの共同研究のひとつとして、長篠の戦いに関わる史料を収集?研究するという主題を設定し、関係する所外の研究者とともに、史料編纂のための共同研究を進めることになりました。
 
そのなかで、編纂所が持っている「背旗」の本格的な研究にも着手することになりました。「背旗」を制作した落合家を訪ね、同家にいまだ伝えられている別の旗指物や文献史料を調査することにより、これが江戸時代初期頃に作られたものであるという所伝を裏づけることができました。また、科学的調査によって、旗に血痕があることもわかりました。そのような貴重な史料であることがあらためて確認できたこともあり、史料编纂所の史料保存技术室において修理が施されることにもなりました。
 
本書はその一連の研究過程をまとめるとともに、鸟居强右卫门とはどういう人物なのかを文献史料によって跡づけております。また、忠義を尽くしたとされる彼のような人物像が、近代に入って、軍国主義の社会のなかでどのように変容し、受け入れられていったのかという点にも目を配っています。史料编纂所において、史料集編纂のためにどのような調査?研究がなされているのか、その一端がわかってもらえる本になっていると思います。


 

(紹介文執筆者: 史料编纂所 准教授 金子 拓 / 2020)

本の目次

はじめに――无名にして有名な武士
鸟居强右卫门という人物
『水曜どうでしょう』の「歴史小芝居」
本书で述べること

第一部 鸟居强右卫门とは何者か

第1章 长篠の戦いに至るまで
奥平氏と山家叁方众
山家叁方众と武田氏
徳川家康による长篠城攻め
奥平定能父子の内通
作手退去后の定能父子
长篠城を夺われた武田氏の动き
奥平信昌长篠城に入る

第2章 長篠城攻防戦と鸟居强右卫门
天正3年における武田氏の叁河侵入
武田胜頼の叁河入り
武田军长篠城へ
长篠城の攻防戦
奥平军の奋闘
强右卫门をめぐる根本史料
史料が语る使者?强右卫门
捕えられ杀されるまで
意外にちがうふたつの史料

第3章 鸟居强右卫门伝説の成立
强右卫门をめぐる研究
强右卫门は実在したのか
强右卫门の子孙
强右卫门の身分
『甫庵信长记』『叁河物语』に先行する史料
强右卫门をめぐる史料と记事内容
强右卫门伝説の成立と変容
使者の役割

第二部 落合左平次道次背旗は語る

第4章 目撃者?落合左平次道次
落合左平次道次の実像
落合道次と落合道久
『寛永诸家系図伝』の落合道久
道久の主君は谁か?
道久の子孙?江戸落合家
纪州落合家の系図?伝承
初代の事跡を掘り起こす6代道広
知行目録が示す落合家の家柄
初代左平次の讳
江戸落合家と纪州落合家の沟
「背旗」は谁が、いつつくったのか

第5章 旗指物の伝来と鸟居强右卫门像の流布
5点ある强右卫门の旗指物
落合家の旗指物
昭和42年の调査
6代道広作成の「指物覚」
『系図元帐』に见える歴代の旗指物
5点の旗指物の制作者
6代道広による旗指物制作
兵法家平山行蔵と强右卫门像
强右卫门像の流布

第6章 指物としての「背旗」
「背旗」は背中に付けたのか?
旗指物のつくり
旗指物の発生论
目立つ指物
长篠の戦いにおける指物
军旗としての「背旗」
戦国时代における旗指物の大きさ
「背旗」の制作目的と働き

第7章 よみがえる「落合左平次指物」
「逆さ磔」の衝撃
逆さ磔説への反论
逆さ磔説の否定
逆さ磔伝承の不思议
落合家から纪州徳川家へ
修理前の科学的调査
里の出现
よみがえる「背旗」

第三部 伝承される鸟居强右卫门像

第8章 近代の鸟居强右卫门
国定教科书『寻常小学読本』の强右卫门
锦絵と歌舞伎の强右卫门
国定教科书採用の背景
重层化する强右卫门伝説
谷村计介と「アラモの碑」
吉川英治から内田叶梦へ
失敗作『鸟居强右卫门』
ロッパの予感

終章 三河武士鸟居强右卫门
変わる / 変わらない鸟居强右卫门像
强右卫门を弔う
出生地市田における顕彰
松永寺における供养と顕彰
叁河人による强右卫门顕彰前史
鸟居家による先祖顕彰
鸟居强右卫门堂を訪ねて
强右卫门信仰
鸟居强右卫门に歴史の面白さをまなぶ

おわりに
 

関连情报

読み物:
Culture: 長篠合戦のゆくえを変えた? 人間味あふれる鸟居强右卫门?命がけの決断とは? (warakuweb 2020年7月6日)

 
书评:
长篠合戦の伝説に迫る 强右卫门の武士魂に光 (毎日新闻夕刊 2019年1月16日)

 
加藤 徹 (中国文化学者?明治大教授) 評 (読売新聞朝刊 2018年11月26日)

 
コラムニスト?堀井憲一郎が読む『鸟居强右卫门 语り継がれる武士の魂』(金子拓 著) なぜ歴史に名を残せたか (産経新聞 2018年11月4日)

 
讲座:
鸟居强右卫门の虚像と実像 (岩瀬文庫地階研修ホール 2018年12月16日)

 
长篠の戦いを考える (早稲田大学エクステンションセンター 2018年7月27日)

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