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平成29年度东京大学大学院入学式 総长式辞

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式辞?告辞集 平成29年度东京大学大学院入学式 総长式辞

 

本日ここに东京大学大学院に入学された皆さんに、东京大学の教职员を代表して、心よりお祝いを申し上げます。また、ご家族の皆様にも、心からお庆び申し上げます。

本年4月に東京大学大学院へ入学されたのは、修士課程が2,898名、博士課程が1,187名、専門職学位課程が334名、合計4,419名です。皆さんは、これから始まる学びと研究活动への期待に胸を膨らませていることと思います。

 

东京大学は、明治10年、1877年に创立され、本日、4月12日をもって、140周年を迎えました。一昨年は第二次世界大戦の终结から70年目でしたので、140年の歴史は、终戦をはさんで、前后おおよそ70年ずつに分かれることになります。

东京大学のはじめの70年は、明治の新たな开国の时代に国际社会で认められるために近代国家としての形を整え、それを担う人材を育成することが急务でした。そのために西洋の学问を旺盛に取り入れ、その中で、东洋と西洋の异なる学问を融合し新たな学问を创り出すという伝统が筑かれました。しかしその后、日本は败戦という大きな蹉跌を経験します。第二の70年は、そこからの復兴から始まりました。20世纪后半は科学技术の革新を牵引力とし、工业化が进み、世界経済は飞跃的に拡大しました。その中で日本は高度経済成长を达成し、世界有数の先进国としての地位と平和な社会を获得しました。ここでも东京大学は、最先端の学术研究を学んだ人材を社会に送り出し、大きな役割を果たしてきました。

しかし、この70年がずっと穏やかだったというわけではありません。特に2011年3月の东日本大震灾は忘れられません。昨年は熊本県と大分県でも大きな地震が発生しました。これらの灾害で犠牲となった方々に改めて哀悼の意を捧げます。先月11日に岩手県大槌町で行われた津波被害の慰霊祭に私も出席致しました。现地では復兴に向けた悬命な活动が今も続いています。6年を経てもまだ道のりは长く、知恵と忍耐がいっそう必要です。东京大学では、地震研究所と史料编纂所が连携して、有史以来、日本で発生した地震について、学际的な研究を进めています。また、その他の分野でも灾害対策や復兴に贡献しうる学术研究が多く进められています。是非、こうした研究にも触れていただきたいと思います。

 

私は、知を创造し、知をもって社会に贡献できる人材を、「知のプロフェッショナル」と呼んでいます。毎年入学式では新入生に「知のプロフェッショナル」となるために、东京大学で锻えてほしい3つの基础力について説明してきました。それは、「自ら新しい発想を生み出す力」、あきらめず「忍耐强く考え続ける力」、そして「自ら原理に立ち戻って考える力」です。さらに、これをベースとして、「多様性を尊重する精神」と「自らを相対化できる広い视野」を锻えることで、他者を理解し、尊重しながら、知恵を出し合って一绪に行动する力を养ってほしいと思います。

 

では、「知のプロフェッショナル」を目指した研钻を积んでいく中で、どのように学问と向き合っていけばよいのでしょうか。そのヒントとして、「知のプロフェッショナル」の先达の活跃から二つの例を绍介したいと思います。

 

まず、最初に绍介するのが、「オートファジー」の解明により2016年のノーベル生理学?医学赏を単独で受赏された、大隅良典东京工业大学栄誉教授です。东京大学でも本年2月に特别栄誉教授の称号を授与させていただきました。大隅先生には先ほど学部の入学式においで顶き、祝辞を顶いたところです。

オートファジーとは、细胞内の物质の分解システムのことで、细胞が自らの细胞质成分を分解し、栄养源等に再利用するというものです。これは细胞が示す生命の本质にかかわる现象です。

大隅先生は、东京大学教养学部基础科学科、大学院理学系研究科で学び、ロックフェラー大学の研究员を経て、理学部植物学教室で助手、讲师を勤められました。その后ご出身の基础科学科の助教授として、独立した研究室を主宰されました。そこで大隅先生は、植物学教室时代から调べていた酵母菌を対象としつつ、「人がやらないことをやろう」との思いで、酵母の液胞の分解机能をテーマに新たな研究に着手します。分解酵素を持たない酵母を飢饿状态におくと、液胞に激しく动き回る小さな粒が蓄积することを発见されます。これが世界で初めて人间の眼で観察された、酵母のオートファジーの手掛りだったのです。この成果はその后约4年という时间をかけて、1992年に论文として発表されました。この発见が今回のノーベル赏の対象となった研究の端绪となりました。

大隅先生はその後、岡崎市にある基礎生物学研究所に移られ、オートファジー研究は一気に加速します。大隅先生のもとで、最初の助教授として動物細胞の研究を開始したのは現在大阪大学の吉森保教授です。さらに、現在東京大学医学系研究科教授の水島昇先生が大隅先生の門をたたきます。水島先生は、酵母と同時にマウスを用いた実験を行い、神経组织でオートファジーが正常に働かないと、マウスが神経変性疾患になることを示しました。酵母から動物研究に発展したことによって研究の裾野が広がりました。そして、オートファジーは、酵母からヒトに至るまで、あらゆる生き物にとって普遍的に重要で、生命維持に不可欠なシステムであることが明らかになりました。今では、病気の治療など医学への応用も期待されています。

酵母の液胞の研究は、もともとは大隅先生の好奇心から始まった纯粋な基础研究です。当时は、オートファジーを解析する手法も确立しておらず、その重要性も未知数でした。何かに使えるというのでもなく、そしてやり方もわからないというとても野心的な研究だったのです。それを、面白いという気持ちをドライビングフォースとして突き进めたのです。私はここにまさに学问研究の本质があると思っています。大隅先生は「役に立つかどうかなんて、あとにならないと分からない」と语っておられます。科学として本当に面白いものに梦中になり、観察に没头し、そして独创的な研究に到达したことが、ノーベル赏につながったのです。

 

基础研究に始まって、后に社会に大きな影响を与えた研究をもう一つ绍介します。私达が食事を楽しむ上でとても重要な「うま味」という美味しさをあらわす物质の発见です。1907年、东京帝国大学理科大学化学科の池田菊苗教授は、昆布だしの味の由来を突き止めたいと考えました。そして、昆布の成分を详しく调べ、尝-グルタミン酸ナトリウムという分子を昆布から抽出することにはじめて成功しました。そしてそれが「うま味」の素となる物质であることを科学的に解明したのです。

池田先生の研究は、ごく身近な食生活への好奇心から始まりました。昆布だしの味わいから、それまで知られていた「甘さ」、「酸っぱさ」、「塩辛さ」、そして「苦さ」の4つの味では形容しきれない味があると考えました。そこでもう一つの味が存在するのではないかという大胆な仮説をたてたのです。そしてこの仮説に立った科学的手法により、「うま味」成分は尝-グルタミン酸ナトリウムであるということを突き止めたのです。こうして、曖昧な表现にすぎなかった味わいの感覚に着目し、科学的な推论と手法によって、日本人が感じていたその味の起源を明らかにしたのです。基础研究と実生活とを繋ぐ、见事な研究事例でした。

现在、池田先生が提唱した「うま味」は、「甘さ、酸っぱさ、塩辛さ、苦さ」に続く5番目の味として世界的に认知されています。もとより「うま味」という言叶は日本语ですが、その発音がローマ字で表记され、「鲍惭础惭滨」という用语で国际的に使われるようになりました。また、昆布だしに代表される「鲍惭础惭滨」は和食の味の决め手となりますが、今やその和食もユネスコ无形文化遗产に登録され、日本から世界に発信する文化资源となりました。

 

これら二つの例はいずれも、歴史的な伟业です。研究の动机は、それぞれでした。大隅先生は未踏の领域に挑戦したいという强い気持ち、池田先生は味についての日常的な経験への兴味でした。しかし、どちらの例も身近な、ありふれたものから研究は始まり、やがて社会に大きな影响を及ぼしていきます。

皆さんにはまず自分自身が「面白い」と感じる素直な心の大切さを感じてほしいと思います。この心こそが、知的好奇心の源であり、学问の出発点なのです。

そして、探求した先に何かが待っていて、それが他の人々と共有できるものになるかも知れないという直感も重要です。それは「面白いことになりそうだ」という感触です。その直感と好奇心が、研究の芽となるのです。こうして见つけた芽を大切にこつこつと育てることが研究することの本质なのです。

もちろん、新しいこと、人とは违うものにチャレンジすることは、并大抵のことではありません。失败を恐れずに取り组む勇気が求められ、人から理解されない孤独な时间を过ごすこともあります。しかし、课题を克服して一つ一つ明らかにしていくことの喜びや感动は、何ものにも代えがたいことです。これは、私自身も研究者として、皆さんの少し先を歩いてきた先辈としての実感でもあります。大学院は、皆さんが自分の信じるところに従って迈进する学术の场です。「面白いことになりそうだ」「この先に皆と共有できる何かが待っているはず」と信じる気持ちを大切にしてください。

 

では、面白いと感じることを见つけ、それが他の人々と共有できそうだと直感したとき、次に、それを深めるにはどうすれば良いのでしょうか。

このステップは、一人では踏みだせないかもしれません。大学という场を存分に活用することが肝心です。その為に皆さんが今日からでもできることがあります。それは、自分で见つけ面白いと感じた、そのテーマについて解きたいと思う问いを见出し、まわりの仲间や先生たちに问いかけてみることです。讲义の中や研究会等でも积极的に质问をするように心がけてください。

この「问いかける」という行為には、とても大切な意味があります。问うことによって、自分が不思议だと思っていることを相手に分かってもらい、また、相手から闻き出したい情报を得ることができます。そしてなによりも重要なのは、自分のその问いが、そもそもどういう意味や価値を持っているのかということについて、他者との関わりの中で知ることができるということです。

いろいろな考えや価値観があることを客観的に见つめることは、多様性を尊重することの原点なのです。东京大学という场には、异なる経験や知识、考えを持つ人々が同じ场に集っています。その场を共有して、一绪に知を构筑するという営みはかけがえのないものです。东京大学は创立以来、海外からの新しい知见を积极的に取り入れ、それを既にもっているものと融合させ変化させる中で、新しい独自の知恵を生みだして来ました。异なるバックグラウンドをもつ学生や教员が一绪になって、异质なものに触れながら问いを発し、议论する中から知を生みだす场が大学なのです。多様な価値観をお互いに认め合うことは东京大学が夸るもっとも重要な伝统です。

 

ところで、専门的に疑问をただただ深く掘り下げていくだけでは、社会への大きな影响にはつながりません。见出したことの価値を他者へと伝える努力を忘れてはいけません。それを理解し価値を共有して支援してくれる仲间の存在も大切です。研究は个々の専门家の个别の活动で完结するものではありません。これまで知られていなかったことを社会に伝えて共有し、他者の理解を求め、共感の轮を広げ、価値が共有されていくプロセスを経て、疑问や発见は人类共通の知の资产へと発展していくのです。価値を伝えるためには、自分と他者の违いを意识し、自らを客観的に见つめる视点と、多様な価値を受け入れ、理解することも必要です。

 

今お话した学问と社会との関係をもう少し考えてみましょう。世界に目を向けると、环境破壊やエネルギー问题など、地球规模の问题が深刻さを増しています。2016年は世界で大きなうねりを感じる年でもありました。世界的な金融不安から始まり、世界各地での大规模テロ、イギリスの国民投票における贰鲍离脱の决定、アメリカの大统领选挙とその波纹など、混迷は深まり、世界の调和的発展を胁かしかねない事态に対する不安と紧张が高まっています。人类が创り上げてきた、民主主义や资本主义といった社会?経済の基本的な仕组みそのものを、今后どのように调整していくべきかが问われています。

私が何よりも心配なのは、これらの事象の背景で、人间の知性の力に絶望し、知を否定するような动きが目立ってきていることです。

科学技术の革新は、厂狈厂など、旧来の新闻や电波による放送とは异なった、情报拡散の新たな手段を生みだしました。この新しい情报メディアは个々の人々の生活スタイルだけでなく、事実や真実をめぐる人々の感覚やそれを共有させる仕方をも変貌させつつあります。事実にもとづく反论や丹念な论証よりも、感情に诉える一方的な断定が大きなうねりとなり、偽りの共感を生みだしてしまうのです。このような事态を指して、「ポストトゥルース」の时代の到来を论ずる人もいます。新闻や放送といった既存のメディアを担ってきたプロのジャーナリストすら、新たな情报环境の影响から逃れることは难しそうです。新しい情报通信の环境を私达が人类社会をより良くするためにポジティブに活用できるのか、それとも制御ができず自灭してしまうのか、その分水岭に立たされているのです。

こうした时代であればこそ、私达は知を放弃するわけには行きません。今こそ、知のもつ力を强く信じ、他者を尊重し、丁寧に言叶を吟味し、冷静な対话を通じて、确かな共感、すなわち「知に支えられた真の共感」を作りあげ、広げていく努力を惜しんではならないのです。大学はその中心となるべきであり、皆さんは私达と共に、その活动を支える仲间になったのです。

 

ここで、何よりも大切なのは、学问に対して自由であるということです。しかし、その自由は私达が、自然や人间や社会に対する谦虚さを疎かにしないという前提の上で保証されるということを忘れてはいけません。国际连合は2015年に17の目标からなる「持続可能な开発目标=厂顿骋蝉」を定めましたが、これは地球の有限性を认め、多様な自然环境や文化を尊重する中で、调和の取れた発展をもたらすための、行动指针を具体的に描いたものです。この目标は东大宪章の精神にも合致しており、东京大学は、今まさにこの目标を活用し、行动を起こそうとしているところです。谦虚さとは、控えめに物静かであれという意味ではありません。目をそらさず物事の本质にじっくりと向き合っていくということです。これは、「知のプロフェッショナル」として絶対に譲ってはいけない矜持であり、しっかり肝に铭じていただきたいと思います。

 

さあ、皆さんは今日から、私达の仲间となります。私は総长として、皆さんが安心して最高の学びと研究に打ち込めるように、大学院の环境を充実させていきます。また、皆さんが「研究する人生」に魅力を感じることができるように、研究者の雇用环境の改善にも全力で働きかけをしていきます。

 

大学で学び、研究する私たちの果たすべき役割は、学问を深め、新たな価値を创造することです。私は东京大学の次の70年を担う皆さんとともにその现场に立てることを幸运だと思っています。ともに梦を持って挑戦し、新たな伝统や学问を一绪につくっていきましょう。

皆さんが元気に活跃されることを期待しています。
 

平成29年(2017年)4月12日
東京大学総長  五神 真

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