令和5年度东京大学学部入学式 祝辞(グローバルファンド 保健システム及びパンデミック対策部長 馬渕 俊介 様)
令和5年度东京大学学部入学式 祝辞
新入生の皆さん、そしてご家族、ご亲族の皆さま、おめでとうございます。
私自身も東大の卒业生ですので、入学時の受験戦争からの解放感、新しい学生生活を始めるわくわく感は、今もよく覚えています。
长い受験勉强が终わって、ついに自由。たくさん游んで、恋人作って、ガンガンやっていいと思います。
同时に、大学の4年间は、「自分で创り、自分で切り拓く、自分の人生」のスタート地点です。そしてこれからの皆さんの人生の中で、一番自由に、自分の器を広げ、自分の梦を探して突き进める时期でもあります。
私は东大卒业后、発展途上国を日本の立场から支援する国际协力机构闯滨颁础、民间の経営コンサルティング会社のマッキンゼーの日本オフィスと南アフリカオフィス、世界银行、それからビル?ゲイツがマイクロソフトを辞めて、途上国の保健医疗の问题を解决するために作ったゲイツ财団で、世界の贫困や感染症に立ち向かう仕事をやってきました。最近では、奥贬翱の独立パネルに参加して、新型コロナのような感染症の壊灭的な大流行を二度と起こさないための国际システムの改革を提案して、去年の3月からは、世界の感染症対策をリードするグローバルファンドという国际机関で、途上国の保健医疗システムを强化して、感染症のパンデミックを起こさないように备える部局の长をやっています。
今日は皆さんに祝辞をお伝えできるということで、はるばるスイスからやってきました。この机会に、私が皆さんより少し人生を先に生きてきて、とても大事だと感じていること、大学に入るときに知っておきたかったと思うことを、2つのお话しを通して共有します。
一つは「梦」について。もう一つは「経験」についてです。
まずは、梦について。
私は、東大に一浪して入りました。学力が特別あったわけでもありません。特に最初は英語が全然ダメで、英会話の授業では、体育会の友人と二人で、一番後ろの席で下を向いて、先生に当てられないようにやり過ごしていました。 ただ東大に入るときにはっきり決めていたのは、大学の4年間で、人生をかけて取り組むことを決めたい、ということでした。何も考えずに野球だけをしていた中学、高校時代の生活への反省もあったと思います。
兴味が涌いた授业をすべて试してみる中で、文化人类学の授业でパプアニューギニアの先住民のギサロという仪礼を见たんですね。そこで、すさまじい衝撃を受けました。めちゃくちゃ格好いいと。こんなに我々と全く违う世界観の社会に住む人々がいるのかと。そういう异文化に飞び込んでそこから学ぶ、文化人类学者になりたい、と思うようになりました。それからすべての学校の休みを使って、途上国を一人で旅しまくりました。グアテマラの山奥の少数民族の村にアポなしで行って、ホームステイさせてもらいながら、フィールドワークもやったりました。
でもそこで见たのは、子どもが病気になっても医者も薬もない状况、毎日の重労働と日焼け、栄养不足でおばあさんのような颜をしている若いお母さん、地域に根深く残る差别から仕事の机会がなくて、くすぶっている同年代の若者など、美しい洗练された文化の里にある、多くの理不尽でした。自分は、学者としてそこから学ぶだけで终わりたくない。人々が自分たちの文化に夸りを持ちながら、理不尽と戦って、日本なら简単に治せる、あるいはかかることもない病気に命や可能性を夺われずに人生を生きられる、そのサポートをしたいと思うようになりました。大学时代に抱いたこの梦は、その后のキャリアの中で徐々に形になって、今も続いています。
「梦」について皆さんにお伝えしたいことは2つです。1つは、梦に関わる、心震える仕事をして欲しいということ。修行のために敢えて途上国の支援とは関係のない仕事をしたときに実感したのですが、自分の梦に関わる本当に好きなことをやらないと、それを彻底的に突き詰めることはできません。また、好きなことをやってないと、幸せの尺度が「自分が他人にどう评価されているか」になってしまう。それではうまくいかないときに持たないです。他人の评価を気にする他人の人生ではなく、自分がやりたいことに突き进む自分の人生を生きてください。
もう一つお伝えしたいのは、梦は、探し続けて行动し続ける人にしか见つけることはできないということです。梦が见つけられないというのは、ほとんどすべての人が抱え続ける悩みですが、梦は、待っていれば突然降ってくるものではありません。探し続けて、行动してみて、その中で少しづつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。周りに流されず、自分の兴味のままに、探し続けてください。そしてそれが一番自由にできるのは、今からの4年间です。
二つ目のお话は、「経験」についてです。
贫困や感染症、気候変动のような世界の问题に立ち向かう仕事は、问题がいつも无茶苦茶に复雑なので、「自分のやっていることが、本当に问题の解决に役立っているのか」という疑问と常に向き合うことになります。その中で私が「世界は変えられるんだ」と希望を持てたのは、西アフリカのエボラ出血热紧急対策の仕事でした。
エボラ出血热という病気はご存じかもしれませんが、2014年にギニア、リベリア、シエラリオネの西アフリカの3か国で大流行し、先进国にも飞び火して、世界を震撼させました。私は37歳の时に、世界银行で、この大流行を止めるための、紧急対策チームのリーダーを任されました。
エボラの恐ろしいところは、感染者の约半分が死に至るということです。それは、自分や家族が感染すると、高い确率で、家族の谁か、あるいは全员が死ぬということです。私が対策チームを作った2014年の8月の时点で、感染者数、死者数は指数関数的に跳ね上がっていました。あとでリベリアのエレン?ジョンソン?サーリフ大统领が「私たちは全员死ぬと思った」と话されたほどの、危机的な状况でした。
紧急対策に当たって2つの难题に直面しました。一つ目は、时间です。感染症対策はスピードが命ですが、感染が爆発した3か国にはお金がなくて、大きな海外援助も遅れていました。世界银行の资金が頼みの纲だったのですが、通常のプロセスでは、200亿円近い大きな资金を効果的な形で届けるには、1年半かかります。そんなに待てるはずがない。そこで、経営コンサルティング会社、マッキンゼーで身に着けたオペレーション改革のノウハウを総动员して、プロセスを无くす、减らす、后回しにする、数倍の速さで回す、そして今何で遅れているかを全て目で见えるようにして、45日ですべてを完了させました。
もう一つの、より大きな难题は、死者の埋葬による感染の拡大でした。
エボラは人が亡くなったときに感染力が一番高く、お葬式で死者に触れてお别れをするのがその地域の非常に大切な仪式だったので、それを通じて感染が爆発しました。
この问题への医学的に効果的な対策は、死者に消毒液を掛けて、ビニールバッグに入れて、そのまま火葬することなのですが、このやり方は现地の人たちの大切な価値観に反するもので、全く受け入れられませんでした。その结果、死者の报告をしない、死体を隠すということが広がり、感染がさらに拡大しました。
この医学的な解と社会的な解との折り合いをつけるために、文化人类学者と现地の宗教リーダー、コミュニティリーダー、それから感染症対策の専门家と共同で、これなら感染のリスクを无くしたうえで、人々が尊厳ある死を迎えられるという、「安全な尊厳ある埋葬」というやり方を开発しました。それを宗教リーダー、コミュニティリーダーから、この方法でよいのだ、この方法で我々の尊厳と安全を守るのだというメッセージを発信してもらいました。
これが普及したことによって、埋葬による感染が防がれ、爆発していた感染が一気に落ちて行きました。2年后に、3か国すべてでエボラ感染を无くすことができ、死者も最悪のシナリオでは70万人を超えていつ终わるかわからないという予想だったのを、1万人强にとどめることができました。
この话でお伝えしたかったことは、皆さんはこれからいろいろな学问や仕事で身に着けた力、「経験」を组合わせて、そのすべてで问题解决に挑むということです。私のエボラ対策の例では、文化人类学の考え方、感染症対策の専门性、民间の経営コンサルティングのスピード感と问题解决力の3つを组合わせで持っていたことが、大きな助けになりました。民间と公共の壁や、医疗と文化、社会の壁などを「越境」した経験を持って、问题解决をまとめる力は、问题がどんどん复雑になるこれからの世界では、本当に重要になります。
一つの分野で世界のナンバーワンになることは、とても难しい。ですが、いくつかの重要な分野の経験やスキルを、自分だけにユニークな组合せとして持っていて、それらを掛け算して问题解决に使えるのは自分だけという「オンリーワン」には、なることができます。
そこでとても大切なことは、「环境が人を作る」ということです。人间は弱くも强くもあり、自分のいる环境をたった一人で突き抜けて大きく成长していくことはとても难しいですが、逆に凄い人たちの中で、あるいは修罗场に身を置いて、难しい挑戦を続けていると、それが普通にできるようになって、その次のさらに大きな机会に手が届くようになります。环境は、「わらしべ长者」のように力をつけて、「経験を组合わせ」ながら得ていくものです。私の场合はそうやって徐々にできることを増やしていって、今に至っています。
最后に、人生のリスクについてお话しします。
私はずいぶん前のセミナーで、大手商社に内定しているという大学生から、「马渕さんは、どうしてそんなにリスクをとれるんですか。」という质问をされました。ここで言う「リスク」ってなんでしょうか。
顿谤辞辫产辞虫というウェブサービスの创业者が、惭滨罢の卒业式のスピーチで、こんなことを言っていました。人生は日にちに换算すると、3万日しかないと。私はすでに、1万7千日を使っています。皆さんは、大体すでに7千日近く使っています。そして次の1万日は、もの凄く速く过ぎていきます。
时间がすごく限られている中で、考えるべきリスクは、何かに失败するリスクではなくて、难しい挑戦に踏み込まないことで、成长できず、なりたい自分になれないリスク、世界に対してしたい贡献ができないリスク、行动を起こさずに「现状に留まることのリスク」だと思います。
これから皆さんが生きる世界は、これまでと比べて圧倒的に不确実で不安定で、危険が多く、逆にとてつもない可能性にも満ちた世界です。人类がこの先も长く生きられるかどうかは、次の数世代にかかっているとも言われています。
人类が未来に希望を持って生きていくためには、世界の最高の头脳が、気候変动や世界の不平等、感染症との戦いなど、世界の最大の问题に立ち向かっていかなければいけません。日本の最高の头脳である皆さんにも、世界の、そして日本の最大の问题に立ち向かっていって欲しいです。
パナソニックを创业した経営の神様、松下幸之助の「道」という、私の座右の诗があるのですが、そこで彼はこんなことを言っています。一部を引用します。
“自分には自分に与えられた道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、悬命に歩まねばならぬ。それがたとえ远い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。”
皆さんの东大での4年间が、皆さんだけのかけがえのない道を、悩みながら心を定めて悬命に歩む、その一番最初の充実した时间になることを、心からお祈りしています。
改めまして、おめでとうございます。どうもありがとうございました。
(“”は、『道をひらく』(松下幸之助着、笔贬笔研究所、1968年)より引用)
令和5年4月12日
グローバルファンド 保健システム及びパンデミック対策部長
马渕 俊介
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