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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白に紫の四角の表紙

书籍名

日本人无宗教説 その歴史から见えるもの

判型など

272ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2023年5月16日

ISBN コード

978-4-480-01773-4

出版社

筑摩书房

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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「日本人は无宗教だ」とはよく闻く。だが、いつ顷からそう言われるようになったのかは闻いたことがない。では、自分たちで调べてみようではないか。
 
コロナ中の2020年秋の宗教学演习はそこから始まった。対面授业や図书馆の利用は制限されたが、リモートでもデータベースは利用できた。そこで、受讲生全员で新闻のデータベースにアクセスし、「日本人无宗教」説がいつ顷登场し、どのように现在に至るのかを调べる共同研究を行った。
 
裏話をすれば、日本人无宗教説の始まりについて、最初に「戦後から」「昭和初期から」「大正から」……と各自予想を立てて、誰が当たるかを楽しみに1タームを過ごそうと思っていたのだが、これはそうならなかった。大学院と共通の授業だったため、日本近代史を専門とする院生が受講しており、彼が1回目に「専門家の間では知られているエピソードがあるんですが、言ってしまっていいですか?」と切り出し、少なくとも明治時代の初めまで遡れることが早々にわかってしまったのである。
 
それが岩倉使節団のアメリカに向かう船上での会話である。このエピソードについては驚く点が2つある。ひとつは、「海外旅行の際に自分は無宗教だとは言ってはいけない」という、これもよく聞く都市伝説的な話を、岩倉使節団が既に交わしていたということ。もうひとつは、この会話は、日本语に、現在の意味での「宗教」の語が加わる前に行われたことである。つまり、このエピソードを知ることは、謎を解消するどころか増幅させたのである。
 
そこから、いつから、どのくらい頻繁に「日本人は無宗教だ」と言われてきたのかという点だけでなく、なぜその時代にそう言ったのかという、日本人无宗教説を唱える人の目的にも興味が湧いてきた。「無宗教だ」とことさらに口にするということは、無宗教を自認するわりには、「宗教」をとても意識していることを暗示している。そのような無宗教説の目的や内実を調べるのにも、新聞記事は恰好な資料だった。集めた記事を、「日本人は無宗教だから、大切なものが欠けている」とする〈欠落説〉、「無宗教のままでいいじゃないか」とする〈充足説〉、「実は無宗教ではなく、独自の宗教を持つことに気づいていないだけだ」とする〈独自宗教説〉の3種に分けて整理した。
 
その結果、見えたのは、ナショナル?アイデンティティ形成をめぐる日本社会のダイナミックな展開だった。1冊の本にまとめる価値があると思い、受講した院生4人の協力を得た。本の帯には「裏側から見た (「無宗教」から逆照射した) 日本近現代宗教史」と入れていただいた。
 
「日本人は無宗教だ」説は、常に何かと比較しての、日本人 (という自意識をもつ人たち) の自己理解の表れだった。具体的には本文をお読みいただきたいが、短いタイムスパンで正反対の主張に変わることも度々だった。そのような変遷をメタな視点から知ることは、一段深い自己理解に寄与するものである。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 藤原 聖子 / 2024)

本の目次

はじめに  藤原圣子

第1章 无宗教だと文明化に影响?
    ――幕末~明治期  木村悠之介
第2章 无宗教だと国力低下?
    ――大正~昭和初期  坪井俊树
第3章 无宗教だと残虐に?
    ――终戦直后~一九五〇年代  藤原圣子
第4章 実は无宗教ではない?
    ――一九六〇~七〇年代  木村悠之介
第5章 「無宗教じゃないなら何?」から「私、宗教には関係ありません」に
    ――一九八〇~九〇年代  和田理恵
第6章 「无宗教の方が平和」から「无宗教川柳」まで
    ――二〇〇〇~二〇二〇年  稲村めぐみ

おわりに   藤原聖子

関连情报

书评:
书评 (キリスト新闻社碍颈谤颈蝉丑颈苍 2023年8月28日)

 
书籍绍介:
「「日本人は無宗教だ」と言うのは、誰が、いつから言い出した?――『日本人无宗教説』(藤原聖子編著) より」 (じんぶん堂 2023年6月7日)

 
「「日本人は無宗教」と言われるが…東大教授と大学院生らが調査」 (読売新聞 2023年10月17日)

 
产経新闻 2023年7月30日

 
「2023年上半期の収穫から」 (週刊読書人 2023年7月28日号)

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