ニッポンのムスリムが自爆する时 日本?イスラーム?宗教
まず、『ニッポンのムスリムが自爆する时』というタイトルに触れなければなければならないでしょう。なかなかエッジの効いたタイトルだと思いませんか。十七文字で、リズムもいいんです。私自身、とても気に入っています。物騒なイメージを喚起するかもしれませんが、そこには当然、アイロニカルな意味が託されています。
こんにちの日本社会でイスラーム教というテーマを考えるとき、着目すべき二つの文脈があると私は考えています。一つは外国人嫌悪 (ゼノフォビア)、もう一つは宗教嫌悪です。「日本文化と相容れない、外国の宗教」と捉えられがちなイスラーム教は、この二つの嫌悪感情双方の対象になる可能性を孕んでいます。政治家やメディアによる扇動が加えられれば、イスラーム教徒への差別や排斥の運動が日本社会に顕在化することも十分にあり得ます。本書のタイトルは、一つにはこの「イスラーム教徒への差別や排斥の運動が日本社会に顕在化する状況」を比喩的に表現したものなのです。そのような背景を抱える現代日本に生きる読者が、自分たちに直接かかわりを持つ問題としてイスラーム教という宗教を捉え直すにはどのような視点を持てばよいのか。本書がめざしたのは、そのためのヒントを提供することです。
本書は三部構成で、十二の学術的試論 (エッセイ) と、付録として三つの原典翻訳を収録しています。第I部「日本」には、日本の歴史?言语?文化の問題と関連する四つの試論が収められています。例えば「2. アッラーのほか、仏なし」は、イスラーム教徒が奉じる唯一神を指す「アッラー」や、アラビア語で「神」を意味する「イラーフ」などの言葉を日本语に翻訳することに伴う問題を論じています。「イスラーム」と題した第II部に収めたのは、イスラーム教の教義?実践に関わる四つの試論です。その内の一つ「5. 共生のイスラーム法学」では、非イスラーム諸国に暮らすイスラーム教徒のためにイスラーム法学の解釈を工夫していこうとする現代の改革運動を紹介しています。第III部「宗教」に収めた四つの試論には、イスラーム教に関わる議論を通して、宗教そのものについて考えるための論点が含まれています。例えば「12.『イスラーム』VS.『イスラーム教』」では、イスラーム教を日本语で「イスラーム」と呼ぶ陣営と「イスラーム教」と呼ぶ陣営の対立をとりあげ、「宗教」概念の射程をめぐる見解の相違に絡めてこれを分析しています。付録の三つの原典翻訳の内、二つはアラビア語で書かれた古典の翻訳です。残りの一つは、明治生まれの日本人イスラーム教徒?有賀文八郎の回顧録を現代日本语に訳したものです。当時の日本人信徒の心情や問題意識を垣間見ることができます。
全体を通じて、イスラーム教に関わる前提知识がなくとも気軽に読める笔致で书かれています。イスラーム教のみならず、広く、宗教について何らかの関心を持つ読者の手に届くことを愿っています。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 准教授 松山 洋平 / 2024)
本の目次
I 日本
1 大日本帝国の汎イスラーム主义者
2 アッラーのほか、仏なし
3 日本?イスラーム?文学――宫内寒弥から中田考へ
4 ムスリムとの対话?
付録 [1] 有賀文八郎「日本の一回教徒として」(現代語訳)
II イスラーム
5 共生のイスラーム法学
6 神の言叶を訳すということ――これからのクルアーン翻訳、あるいはアダプテーション
7 「不信仰の地」の神学――イスラームの臨界点
8 ワールド?イスラミック?ポップ
付録 [2] 「信じること」とは何か――サッファール『大要』より
III 宗教
9 とあるイスラーム无理解の様相――行為か信仰か
10 日本の教科书はイスラームをどう记述しているか
11 ノックの作法と秘する文化――信仰とふるまい
12 「イスラーム」VS.「イスラーム教」
付録 [3] 「心を神に向けること」――イブン?カイイム『益』より
あとがき
関连情报
田原牧 評「タイトルは物騒なれど知見に瞠目 「少数派」に必要なものとは何か」 (『週刊新潮』2024年4月18日号 p. 109)
インタビュー:
「ムスリム理解に「宗教」「外国人」の壁」 (『朝日新聞』 2024年7月19日 第24面)
関连记事:
松山洋平「イスラーム理解と宗教嫌悪」 (『Voice』 2024年7月号 pp. 152-161)
「機能性表示食品、難民受け入れ、「地平」創刊…いま注目の論考」 (朝日新聞デジタル 2024年6月27日)