狈贬碍ブックス ローマ史再考 なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか
「ローマの歴史とローマ皇帝の分かりやすい本ありませんか?」
これは、授业を终えたときに、时々勇気をもって教员に话しかけてくる学生がしばしば口にする质问。着任して以来、何度か繰り返された前期课程授业后の教室风景の一コマです。そして、いつも私は不本意ながら、このように答えていました。
「日本语だとちょっと一冊では難しいかもしれない。事典みたいな分厚い本はあるけれど。」
その分厚い本を一応绍介はするのだけれど、学生たちがそれで纳得したのかどうか、ましてや読んでくれたのか、定かではありません。
ローマ史の扱う対象は長く、広く、そして、深いものです。しかし、これまでのローマ史研究は、すべての時代にわたって満遍なく同じように行われてきたわけではありません。そして、その中でも古代ローマ史にはいくつかの壁あるいは溝ともいうべき、研究対象はここまで、という境界が多かれ少なかれあります (それ自体は、責任を持った研究をするために仕方のないことです)。その一つが時代的なもので、西ローマ帝国が滅びた5世紀を境とするもの。他には、キリスト教史やローマ法史、ゲルマン王国史といった、研究対象に応じた見えない溝があります。これらは近代の学問領域の住み分けの結果生じているもので、それぞれの領域の伝統の蓄積も厚いため乗り越えるのは簡単なことではありません。
もちろん、私の授业はそれらすべてを要求するような高度なものではありませんが、私の研究関心上、どうしても西ローマ帝国の灭亡を挟んだ前后の时代を扱います。大抵は、古くはアウグストゥスぐらいに遡り、下ってはイスラーム台头以后までは最低限扱います。教养の歴史としてはこれでも狭すぎるぐらいです。しかし、そのような関心から见ると、意外と「ローマ史」という枠组みでは适当な时代范囲を扱う文献がありませんでした。それでは、自分で书いてしまおう。これが本书成立の経纬です。
执笔にあたっては、そもそも「ローマ史」とは何か、という问いも常に头にありました。国民国家の歴史を书くつもりは全くないのですが、いったい何が「ローマ」なのか、それはイタリアの歴史なのか、皇帝の歴史なのか、キリスト教会の歴史なのか? そのような迷いの中、后期ローマ帝国の歴史を分かりやすくするために焦点を当てるとよいのではないかと考えついたのが、コンスタンティノープルです。皇帝と町、イタリアと帝国、元老院とキリスト教会、军队と市民団。ある程度时间轴に沿って叙述が进みながらも社会の诸要素も理解でき、政治史の大略もつかめるのではないか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。私の试みがうまくいっているかどうか、関心のある方は是非ご覧になって、确かめてみてください。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 田中 創 / 2023)
本の目次
第一章 コンスタンティノープル建都
第二章 元老院の拡大――コンスタンティヌスの発展的継承
第叁章 移动する军人皇帝の终焉
第四章 仪礼の舞台――変容する皇帝像
第五章 合意形成の场としての都
第六章 都の歴史を夺って
おわりに
関连情报
大谷哲 評 (『西洋史学』第274巻 pp. 168-171 2022年)
高橋英海 評 (『教養学部報』第625号 2021年2月1日)
本村凌二 評 (毎日新聞 2020年11月28日)
山内志朗 評「衰退イメージを覆す」 (読売新聞オンライン 2020年10月18日)