土にまみれた旗
本書はウィリアム?フォークナー (William Faulkner, 1897-1962) が第3長編として書いた『土にまみれた旗』(Flags in the Dust, 1973) の本邦初訳である。フォークナーの第3長編は、日本の読者にはもっぱら『サートリス』(Sartoris, 1929) として知られてきたが、『サートリス』は大幅にカットされた縮約版であり、アメリカ本国では1973年以来、オリジナル?ヴァージョンである『土にまみれた旗』が流通している。
フォークナーは『响きと怒り』(The Sound and the Fury, 1929)、『八月の光』(Light in August, 1932)、『アブサロム、アブサロム!』(Absalom, Absalom!, 1936) などの傑作によって、20世紀を代表する小説家として評価されてきた。彼の物語舞台は、故郷のアメリカ南部、ミシシッピ州の小さな町をモデルとした架空の土地に設定されることが多く、そうした作品群は「ヨクナパトーファ?サーガ」(Yoknapatawpha Saga) と総称されている。このサーガを構成する個々の作品は、どれも1冊の小説として独立しているが、互いに連関しあっており、全体として壮大な小説空間をなしている。
そうしたヨクナパトーファ?サーガの第1作である『土にまみれた旗』は、フォークナーの世界を十分に堪能するためには、まさしく必読の书だといっていい。初期の2作品――『兵士の报酬』(Soldiers’ Pay, 1926)と『蚊』(Mosquitoes, 1927) ――は、どちらも1920年代のアメリカ文学として決して悪い小説ではないが、フォークナー以外の作家にも書けるような作品だったといえるかもしれない。だが、『土にまみれた旗』は断じてそうではない。これはフォークナーでなくては書けない小説であり、その意味において、まさに「フォークナー」の出発点を指し示す作品なのだ。
『土にまみれた旗』は第1次世界大戦の帰还兵である二人の若者を中心とした小説であり、その点においては、前作までと同様、いかにも1920年代的な作品である。本作に色浓く漂う虚无や丧失の感覚は、戦后のアメリカ文学に、広く共通して见られるものだろう。しかしながら、こうした「ロスト?ジェネレーション」的な物语に、作者フォークナーは「南部」という主题を重ねたのであり、それによって本作は一気に「フォークナー」的なものになった。主人公达が生きていかねばならない「现代」とは、単なる戦后ではなく、「古きよき南部」が完全に消え去ろうとしている时代なのだ。フォークナーは本作において「南部」を発见したといわれるが、その「南部」とは地理的なものであると同时に、歴史的なものでもあった。この「歴史」の発见が、以后のフォークナー文学に、立体性、重层性を与えていくことになったのである。
本作の原稿を読んだフォークナーのエージェントは、ここには6册ほどの本が入っているといったという。あるいは、「ヨクナパトーファ?サーガ」のすべてがここに胚胎しているといってもいいかもしれない。何度読み返しても発见がある豊かな本书を、一人でも多くの方にお読みいただければと愿っている。&苍产蝉辫;
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 准教授 諏訪部 浩一 / 2022)
本の目次
第二部 (第一章~第六章)
第三部 (第一章~第一〇章)
第四部 (第一章~第六章)
第五部 (第一章~第三章)
訳者あとがき
関连情报
平石貴樹 評「愛することは学ぶことだから――『土にまみれた旗』を読む」 (『群像』 2021年11月号)
藤ふくろう 評「血と情念が燃え上がるヨクナパトーファ?サーガの原点」 (Web本の雑誌/『本の雑誌』 2021年9月号)
鴻巣友季子 評「競争と性 「有害な」男らしさの果て」 (朝日新聞 2021年7月28日)
书籍绍介:
TODOカレンダー BOOK (POPEYE Web 2021年7月4日)
訳者あとがき:
【6/29発売】ノーベル赏作家?フォークナーの记念碑的大作が94年の时を経て初の邦訳!――『土にまみれた旗』訳者?諏访部浩一による「訳者あとがき」を先行公开 (奥别产河出 2021年6月15日)
対谈:
諏訪部浩一×桐山大介「若きフォークナーの豊かさと面白さ」 (読書人web/『週刊読書人』 2021年9月10日 (3406) 号)