岩波文库 八月の光 (上) (下)
本書はウィリアム?フォークナー (William Faulkner, 1897-1962) が1932年に発表した第7長編『八月の光』 (Light in August) の翻訳である。
フォークナーはアメリカ文学を代表する小説家であり、『响きと怒り』(The Sound and the Fury, 1929) や『アブサロム、アブサロム!』(Absalom, Absalom!, 1936) など多くの傑作を残しているが、訳者はかねてより、最初に読むフォークナー作品としては『八月の光』を勧めている。本書は、フォークナーが故郷ミシシッピ州の小さな町をモデルにして生涯書き継いでいった「ヨクナパトーファ?サーガ」の1冊だが、主要人物は全員「よそ者」であり、予備知識は不要である。また、難解という印象が強いフォークナー作品の中で、本書は例外的に読みやすいものとなっている。モダニスト的な実験性はそれほど目立たないし、ストーリーもおおむね直線的であり、筋がわからなくなるということはないだろう。ある文学事典では、「小説というものの面白さを存分に味わわせてくれる作品」と書かれているが、実際、「小説」というものが好きな人にとって、本書を読まずにいるのはあまりももったいないように思われるのだ。
そのような小説であるので、とにかく本を开いていただいて、読み始めていただければ结构である。主人公は、自分を捨てた恋人を追いかける田舎娘、自分には黒人の血が混じっているかもしれないと考える放浪者、世捨て人となって家に引きこもっている牧师という3人で、それぞれ个性が极めて强い。そうした个性の强い人物达の人生を结びつけるフォークナーの、ストーリーテラーとしての豪腕に惊嘆しながら読んでいくうちに、読者は1930年代のアメリカ南部という、21世纪の日本からは空间的にも时间的にも远く离れている世界に、ぐいぐい引きこまれていくことになるだろう。
このように、「别世界」に「引きこまれる」経験は、外国文学を読むことの醍醐味であるといっていい。なぜこの田舎娘は男を顽なに追いかけるのか、なぜこの放浪者は自分の「血の色」にそれほど拘泥するのか、そしてなぜこの牧师はひたすら社会を拒絶するのか&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;といった数々の「なぜ」を主人公达の人生に寄り添いながら考えるということは、読者に「ジェンダー」「人种」「宗教」といったさまざまな主题の重さを、いわば実感させるだろう。この「実感」こそが、単なる「知识」とは异なる水準において、异文化への扉を开いてくれる。优れた小説を読むことが、自室にいながらも世界への旅を可能にしてくれることを、本书を読んだ方にはきっとわかっていただけるだろうと思っている。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 准教授 諏訪部 浩一 / 2018)
本の目次
八月の光 (1~11)
注
八月の光 (12~21)
注
解説