震灾復兴の公共人类学 福岛原発事故被灾者と津波被灾者との协働
贫困や灾害といった苦境に立たされた时、人は试される。苦境に立たされた人がどのように英知を集め、相互に助け合って乗り越えるかについて、当事者の视座で考察することを、本书では特に取り组んできた。私が専门とする文化人类学では、フィールドワークを行い民族誌を书くことが仕事とされるが、本书では、フィールドは2011年3月11日に発生した东日本大震灾后の东北地方を中心とする社会であり、书き上がった成果は协働の民族誌となった。
文化人类学におけるフィールドワークでは、従来までは人类学者が単独で参与観察を行い、フィールドにいる人たちが织りなす生活文化を言叶を尽くして描写することが彻底されてきた。そこで取り上げられるテーマは様々で、人类学者が特権的にテーマを选び、彼/彼女自身の言叶でフィールド世界を描き出すことが许されてきた。贫困や灾害についても、これまでは人类学者自身がフィールドで见てきたことを、诸理论や分析枠组みに基づき、ある一般化された実体像に落とし込むことが行われてきた。
しかしながら、苦境に立たされた人たちを、ただ観察し描写することはなかなか困难である。そうした人々を理解しようとするのであれば、一绪に苦境に抗い、闘うことのほうが寄り添う人间の在り方として自然なのではないか。そうすることで、人类学者は客観的な立场を少し失い、记録だけでは済まない状况に追い込まれるという犠牲を払うかもしれないが、现场で何が问题となっているのかという点により深く向き合えるし、困难なフィールドでも记録をしながら行动をし、现场に少しでも资する贡献をもたらす可能性も见出すことができるのである。
东日本大震灾以后、私は学生や友人を连れて访れながら、主に福岛原発事故被灾者の声に耳を倾け、人々が向き合っている问题がどのような过程で、解决され、苦境が少し良くなっていくかを见てきた。见るだけではなくて、时には一绪に考えて行动を起こしてきた。そのようにしてしまったのは、自然な成り行きであるし、徐々に人々に笑颜が戻る様子を见ることが、ともに寄り添う人间として、とてもうれしかったからである。さらに、こうした过程を记録に残すことが、先の学びを次の苦境を乗り越えるときのために活かす、ことにもつながる。残すのであれば、できるだけ当事者の视座から见えていることを鲜やかに残す。おそらく本书に论考を寄せた执笔者全员がそのような思いであったと信じている。
さて、綺丽过ぎるとも思えるこうしたフィールドとの付き合い方から生まれた协働の民族誌はどのような学术的意味合いがあるのだろうか。现场の人たちも巻き込んで、协働の民族誌のテキストを纺ぐ作业はこれまでも多くの先达が试みてきた作业で、賛否両论がある。客観性に欠ける、あるいは学术的水準が保証できない、そうしたリスクの一方で、当事者たちの视座を动态的に描き出している可能性が残されている。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 関谷 雄一 / 2019)
本の目次
I 震灾復兴の映像アーカイブ化
第1章 灰色地帯を生き抜けること――「つくば映像アーカイブ」から考える (箭内 匡)
第2章 避難者のセーフティネット作りから映像アーカイブ制作への発展 (武田直樹)
第3章 『立場ごとの正義』――自主避難者の視点から映像を撮る (田部文厚)
第4章 災害に抗する市民の協働 (関谷雄一)
II 福岛第一原発事故被灾者に寄りそう実践の试み
第5章 原発事故避难者受け入れ自治体の経験
――ソーシャル?キャピタルを活用した災害に強いまちづくりを目指して (辻内琢也?滝澤 柚?岩垣穂大 / 研究協力: 佐藤純俊)
第6章 当事者が語る――一人の強制避難者が経験した福島第一原発事故 (トム ギル?庄司正彦)
第7章 まなび旅?福島――公共ツーリズムの実践 (山下晋司)
III 津波被灾地の生活再建の现场から
第8章 現在から過去へ,そして未来へ――「復興」への手探りの協働 (木村周平?西風雅史)
第9章 津波被災後の稲作農業と復興における在来知の役割 (高倉浩樹)
第10章 震災とデス?ワーク――葬儀業による死後措置プロセス支援の展開 (田中大介)
関连情报
<本の棚> 森山 工 (東京大学教授?文化人類学) 評 (東京大学教養学部報 611号 2019年7月1日)