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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙に住宅地の線画

书籍名

住まいと町とコミュニティ

着者名

判型など

219ページ

言语

日本语

発行年月日

2017年4月1日

ISBN コード

978-4860730642

出版社

王国社

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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本书は、2007年から2016年にかけてのほぼ10年间に、各种雑誌等に寄稿してきたものの中から18编を选んで1册にしたものであり、建筑のレベルからまちづくり?都市计画レベルまでのハード部门から、さらにはコミュニティ形成といったソフト部门までを网罗している。
 
「住まい」と「町」と「コミュニティ」の三者は、例えば行政レベルや専門家レベルであれば、分けて仕事をすることも可能であろう。というか、日本の縦割り行政の中では、どうしてもこの三者が互いに他の優位に立とうとして、しのぎを削っているようにも感じられる。これを別な視点で見れば、この縦割り行政自体が日本独特の产业界?产业構造を育み、それぞれ「住まい」「町」「コミュニティ」の三者の利益代表として、各省庁部局の縦割り合戦に参加しているようにも見える。
 
しかし、いったん一生活者の视点に立てば、この叁つはどうしても分けられない。例えば、大灾害后に建设される大量の仮设住宅には「住まい」の供给という视点はあるが、住宅以外の医疗福祉や就労机会确保の领域を含む诸机能を有する「町」の分野や、隣近所と付き合いながら弱っている人をみんなで助ける「コミュニティ」分野との连携がないために、なかなか住みづらそうであることは、このことを端的に表しているだろう。このことは、住宅地の再开発や、昨今流行の空き家対策や缩退居住地対策にも言えることである。だからあえて、今の日本社会が不得手とする『住まいと町とコミュニティ』という総合的なタイトルとなっている。
 
本书は、序?第一部?第二部?第叁部に分けることができ、どこから読んでも良い。
 
序では「コミュニティ」なるものがなぜしばしば议论になるのか、本当にコミュニティは必要なのか、といった疑问に正面から挑んでいる。结果は本文を読んでもらおう。
 
第一部は、笔者がこれまで日本各地で行ってきたサーベイで目撃してきた、含蓄の深い事例について、住宅の间取りや住宅周りの空间の设计が、我々の日々の暮らしを结构豊かにしてくれる可能性を论じている。
 
第二部は、日本の住宅地づくりにこれまで影响を与えてきた、または、今与えつつあるアメリカの住宅地を例に挙げ、日本に影响を与えているエッセンスについて解説している。また、欧米では普通に町のシンボルとして残っている近代の集合住宅が、日本では再开発の名目で一つも残っていかないことの理由を考察している。
 
第叁部は、日本の住宅地をつくり変えて行く际に考えていかねばならないことのいくつかにつて、事例をあげながら解説している。とりわけ、20世纪中に建设された住宅地にとって必要なのが「多様性」であることは、灾害の復兴过程のまちづくりに端的に现れている。灾害復兴住宅であろうが、炭鉱住宅であろうが、郊外戸建住宅団地であろうが、そのエッセンスは変わらないのだ、というのが、本书の主张である。
 

(紹介文執筆者: 工学系研究科 教授 大月 敏雄 / 2019)

本の目次

序?コミュニティはなぜ必要なのかを改めて考えてみる
 
第一部
路地の魅力と「路地を耕す」ということ
路地にお花畑を耕した人々
行商のおばちゃんと出入りの大工さんの重要性
足まわりを耕す
集合住宅の屋上を耕す
 
第二部
住まいと町の计画学
 ディズニーのまちにみる多様性
 アクセサリー?アパートメント
 ジョージタウンとバック?アレイ
 ニューアーバニズムの圣地:シーサイド
 歩车分离の圣地:ラドバーン
日本の集合住宅はなぜ残らないのか?
 
第叁部
成熟化の21世纪型住宅地
赁贷住宅と若者の都市復権を!
同润会と不良住宅地区改良事业&苍诲补蝉丑;东日本大震灾を念头に
灾害多発国としての心构え
分野横断型の「復兴デザイン研究体」の试み
缩退先进地としての炭鉱住宅に学ぶ
 

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