「つくる生活」がおもしろい 小さなことから始める地域おこし、まちづくり
「长い箸の寓话」と呼ばれる话がある。概ね次のような内容である。
地狱にはご驰走がたくさん用意されていて、长い箸がおかれている。しかし、箸は长すぎて、食べ物は自分の口に入らない。だから、地狱の亡者たちは飢えて争っている。天国はどうか。天国にもたくさんのご驰走が用意され、长い箸がおかれている。地狱と変わらない。しかし、天国では谁もがお腹いっぱいになって幸せに暮らしている。なぜなら、天国では人は互いに食べさせてあげているからだ。
この话で重要なのは、地狱も天国も同じ社会であるのに、一つの违いで、人は飢えていがみあうようになるのか、皆が満腹で幸せに暮らせるのかが分かれるということである。それは、社会に対する信頼感である。地狱では、谁もが社会を信頼していない。他者を信頼していないだけでなく、社会そのものを信頼できない。だから、谁もが我先にご驰走を食べようとして、食べられず、飢えて争うことになってしまう。天国ではどうか。谁かにご驰走を食べさせれば、その人からではなくても、自分にも谁かがご驰走を食べさせてくれるかもしれない。そう思える、つまりそういう信頼感があるとき、人は谁かにご驰走を食べさせようとするのではないのか。しかも、そこには、相手の喜びを自分の喜びとしようとする心の働きがある。
私たちが生きる昨今の社会は、この地狱のような社会なのではないか。豊かなのに、谁もが、他人に対してだけではなく、社会にも信を置くことをせず、自分だけが食事にありつこうと、我先に、がむしゃらに箸を振り回しているだけで、どんどん飢えていってしまう社会、それがいまの日本社会の一面であるように见える。
しかし他方、草の根の様々な「まちづくり」の动きを追ってみると、そこでは、お互いにご驰走を食べさせあおうとする动きが、确実に生まれている。それはまた、自分の目の届く范囲のちいさなコミュニティで、お互いに関心を持ち、信頼感を高め、頼り頼られることが自立であることを実践的に形とする一つの生活の営みでもある。そこでは、人々は「学び」を基盘として、「生活」をつくり、「社会」をつくって、それを経営することで、自分の思いを実现していく「楽しさ」を体现する存在として、他者との间に起ち上がっている。
本书は、过去のような拡大再生产の社会ではなくなったこの社会で、小さな「社会」をたくさんつくって、住民自らが経営することで、新しい社会の基盘をつくりだそうとする、各地の人々の実践を绍介したものである。そこでは、私たち自身が、日々、自分を他者との间で新しくしていくという、どうしようもない駆动力が働いていることが见出され、また「社会」をつくる楽しさをともに享受するという、新しい消费社会の姿がとらえられることとなる。
(紹介文執筆者: 教育学研究科?教育学部 教授 牧野 篤 / 2018)
本の目次
第1章 下り坂社会のただなかで
第2章 人とつながる、社会とつながる
第3章 一人ひとりが社会のフルメンバーとして生きる
第4章 ちいさな「社会」をたくさんつくる
あとがき