宪法の涙 リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください2
もっぱら学術的世界で仕事をしてきた私だが、日本の右傾化が進行し、ネトウヨによるリベラル叩きを越えて、リベラル嫌いが一般庶民の中にも広まりつつある状況に危惧を覚え、2015年に、『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫の法哲学入門』という一般向けの本を刊行した。ウヨクの倒錯と自称リベラルの欺瞞をともに批判して、あるべきリベラリズムを哲学的に再定義し、現実政治に対するその含意を示すもので、学問的に高度の内容を含むが、編集者の質問に私が答えるインタビュー形式をとり、分かりやすく説明するのに努めた。予想以上の反響があったが、特に憲法改正問題に関する私見が大きな関心を呼んだので、憲法問題を主題とした続編として刊行したのが本書である。本書の内容は、「宪法の涙」という書名の趣旨を説明した以下の題辞の会話に要約されている。
「日本国憲法は、いま泣いています」
「憲法は、なぜ泣いているのでしょうか。改憲派の九六条改変の試みや、九条解釈改憲によって、いじめられているからですか」
「そうですね、それも辛いですね。でも、もっと辛いわけがあります」
「それは何でしょうか」
「憲法を守ると誓っているはずの護憲派によって、無残に裏切られているからです」
憲法九条二項は戦力の保有行使を明示的に禁じている。しかし、解釈改憲で集団的自衛権行使を解禁した安倍政権だけでなく、これを批判する護憲派も、専守防衛?個別的自衛権の枠内なら自衛隊?日米安保を容認?是認している。「原理主義的護憲派」は自衛隊と安保の存在自体が違憲だとしながら、この枠内なら政治的にOKだとし、この枠内なら戦力を保有?行使できるという九条二項の明文改正 (いわゆる護憲的改憲) すら拒否し、違憲の烙印を押し続けながら自衛隊?安保を保持するという違憲状態凍結論の欺瞞に耽っている。「修正主義的護憲派」は、この枠内なら、世界有数の武装組織である自衛隊も、世界最強の米軍との共同防衛力行使を認める安保も、九条二項が保有行使を禁じている戦力に当たらないから合憲だという驚くべき解釈改憲に開き直っている。安全保障に関する自分たちの政治的選好に都合のいいように憲法を蹂躙している点で、護憲派も安倍政権と同罪である。護憲を名乗りながら憲法を蹂躙している点で彼らの方が罪が重いとさえ言える。
護憲派の最大の嘘は、「九条が戦力を縛っている」という彼らの主張である。事態は逆で、九条があるために、憲法上戦力は存在しない建前である以上、日本国憲法は戦力を統制する規範をまったく設定できないのである。その結果、自衛隊?安保という現実の軍事体制が憲法の外部で肥大化の既成事実を積み上げている。本書で、私の九条削除論は、戦力に対する憲法的統制を廃止するものであるどころか、安全保障政策は民主的立法過程での論議に委ねつつ、戦力が濫用されないよう、その組織編制?行使手続を統制する戦力統制規範を憲法に盛り込むのが狙いであることを明確にし、強調している。その上で、私が最善策として主張している九条削除論をすぐに受け入れられなくとも、護憲派は次善策として、専守防衛?個別的自衛権の枠内で戦力保有行使を認めるという九条二項の明文改正 (護憲的改憲) を唱道する義務があることを主張している。それすら拒否している彼らは、立憲主義を蹂躙しているだけではない。自衛隊?安保の現実と憲法の矛盾を正すための国民の憲法改正権力の発動 (憲法改正国民投票) も妨げている点で、国民主権原理も蹂躙している。日本で、まともな立憲民主主義を確立するためにこそ、憲法改正問題と国民が真摯に向き合う必要があること、改憲派?護憲派双方の欺瞞に泣く「宪法の涙」を拭うのは国民の責務であること、これが本書のメッセージである。
(紹介文執筆者: 法学政治学研究科?法学部 教授 井上 達夫 / 2017)
本の目次
第2章 改憲とフェアプレー
第3章 憲法学を疑う
第4章 愚行の権利?民主主義の冒険
関连情报
橋爪大三郎『毎日新聞』 2016年4月24日
苅部 直『アエラ』 2016年5月2?9日合併号、149頁
渡辺 靖『東洋経済』 2016年6月4日号、120頁
永山博之『改革者』 2016年6月号、63頁
平山周吉『週刊ポスト』 2016年6月17日号
斉藤美奈子『webちくま:世の中コラボ』 第75回
橋爪大三郎『ALL REVIEWS』 2018年5月3日