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平成15年度学位记授与式(博士课程)総长告辞

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式辞?告辞集 平成15年度学位记授与式(博士课程)総长告辞

告辞

国立大学法人东京大学総长 佐々木 毅
平成16年(2004年)3月25日

 

博士号を取得し、本日この式场に出席されている皆さんに対し、先ずは心からのお祝いを申し上げます。おめでとうございました。博士号の取得は学歴の顶点を极めることであり、皆さんの研鑚の道は长く、しかも厳しいものであったと思います。それを乗り越えることができたのは何よりも皆さんそれぞれの学问に対する真挚な态度の赐物ですが、そうした长きにわたる厳しい勉学と研究を支えてくれたご家族や支援者の方々に対しても、皆さんととともに感谢の気持ちを表したいと存じます。
特に、外国から东京大学に学び、博士号を取得された方々については、その坚忍不抜の努力と真挚な研鑚に対し、一层の祝意と敬意を表明したいと存じます。
东京大学がいわゆる大学院重点化を始めてから十年余りが経ちますが、高度な専门的?先端的知识に対する社会の関心は急速に高まってきました。この背景にはグローバルな规模で进む知识基盘社会化现象があり、日本社会もこの潮流から孤立しているわけにはいかないという、大きな事情があります。博士号を取得された皆さんは正にこのような知识基盘社会化现象の申し子であるとともに、その先头に立つべき人材として期待されているわけです。皆さんの活跃すべき舞台はそれこそグローバルであり、アジアにおいては勿论のこと、世界的にも名声のある研究重点型大学としての本学で培った実力を遗憾なく発挥して辉かしい前途を切り开いていただきたい。このことを何よりも切望して止みません。
ところで学歴の顶点に立つに至った皆さんの目にはどのような知的世界が拡がっているのでしょうか。皆さんがそれぞれの専门领域において世界最高水準の域に达していることは疑う人はありません。同时に、こうした域に达するためには気の远くなるような知的操作と準备が必要であり、平たく言えば、日常性から一定程度离脱することが不可避的に伴います。世间が大学を称して「象牙の塔」と命名したのにはそれなりの根拠があります。自らの内に「象牙の塔」を持つことなく、博士号を取得できるというのは私には信じられない事态です。これは谁にでもできることではない生き方であり、それ故に社会的にも评価され、一目を置かれることになります。これまで皆さんは内なる「象牙の塔」を丹念に磨き上げ、その専门性、先端性を彻底して追い求めて来ましたし、それこそが最大の関心事でした。
私の先ほどの问いかけは、狭いながらも顶上に达した皆さんはこれから何を考え、何をしようとするのかということに関わります。容易に想像される回答は、研究を更に磨き、新たな山の顶点に向かって登顶を开始するというものでしょう。确かに、谁もそうした回答の妥当性を否定しませんし、谁もそれを间违いだという人はいないでしょう。そこからどのような新しい成果が出てくるか、兴味津々で见守ることになります。他の人间は「顽张ってください」と言うしかないでしょう。
しかしながら、皆さんの中には学歴の顶点に立つに及んで自分が行なってきたことは何であったのか、どのような意味があるのかなどと、改めて思考を巡らす人もいることでしょう。これが先の私の问いに対する第二の回答です。これはこの记念すべき区切りにおいて自らの知的営為の足场を吟味し、将来の営為の方向性を探るという意味において、十分に理解できる回答です。何事もそうですが、自らの行なっていることを自らの行為そのものによって基础付けることができない以上、一旦、自らの行為の外に出てそれを外から観てみるというのは正常な知的反応であります。
この二つの回答を比べますと、第一の回答はこれまでの知的探求の连続线上に新たな高い顶上に向かって一目散に駆け上がる态度でありますし、第二の回答はその前に自らの学问研究の位置と意味について一度考えてみよう、今がその良いチャンスであるという、いわば「ため」を作ろうとするものです。前者はいわば上ばかりを向いて横や下をみようとしないものであり、后者は横や下から自らを覗いてみようというものです。ここまで言えばお分かりのように、この一方だけで十分であるわけでなく、この二つを适宜结び付けていくことが今后とも皆さんにとって必要であるというのが、私が述べたい点であります。つまり、ここで専门的?先端的知识の探求を中止することは论外でありますが、しかしながら、自らの知的活动の意味を外侧から観察し、外部からの问いかけに答えるそれなりの用意もまた欠かせません。
大学という组织は専門的?先端的知識の探求そのものが是とされる、珍しい独特な社会组织です。そうした探求の意味をとやかくうるさく問い掛けることよりも、この探求そのものをプラスと評価し、それを更に高め合う组织です。第一の回答はその面を素朴に再生産したものと言えましょう。ところが大学以外の组织はこうしたことには総じて関心がなく、個々の知的探求の意味や更にはその効用にばかり関心を向けることは否定できない事実です。そこでは「象牙の塔」という言葉が専らマイナスの意味に用いられるのはその典型的な例です。しかし、人間である限りにおいて自ら行なうこと、行なおうとしていることについてその意味を問うというのは避けられない事態であり、極めて人間的な事態です。そのことは多くの古今東西の哲学的な問いかけに共通に見られる点であり、何も目の前の俗な議論だけに見られる事態ではありません。第二の回答はそうした事態を本能的に感じ取った上での反応といえましょう。
この二つの回答を适宜结び付け、専门的?先端的知识の深化に迈进するだけではなく、自らの知のあり方や意味についてどう答えるかを考えることは、博士号を手にした皆さんの责务であると思います。実际、卓越した専门的な知识の持ち主が自らの知的作业について粗暴な意味付けしか与えず、平然としているといった事态は决して珍しくありません。専门的知识をめぐる竞争が极めて炽烈なものであることをわれわれはよく知っています。しかし同时に忘れてならないのは、こうした知识の意味についての争いもまた极めて炽烈であり、论争的であることを止めることがないという点です。それは简単に回答が「见つけられる」とか「ある」という领域ではありません。それは极论すれば、政治的论争?闘争に近い体质を备えています。従って、知识の意味付けの世界に踏み込むに际しては确固たる信念を持つことは一つの対策ですが、ナイーブであることは狼の群れの中で小羊で居ようとするようなもので何ら有効な策ではありません。その意味でこの问题を安易に考えることなく、それ相応の知的準备をすることが博士号取得者には期待されて然るべきです。それこそ、社会において専门的?先端的知识が正当な地位と存在感を示す王道です。
今日を境に皆さんにはこの厄介な问いかけが押し寄せてくることになります。俗な意味で「役に立つ」などと安易な回答をすると直ぐに「役に立たなくなる」危険があります。それにどう贤明に答えるか、皆さんの闘いとその成果を楽しみにしております。皆さんには是非とも広い视野に立った意味付けを背中に背负いながら闘っていただきたいと思います。そしてその闘いに疲れたら、再び东京大学に帰ってきてエネルギーを补给してください。东京大学は何时までも皆さんにとってのエネルギー源でありたいと念愿しています。
最后に、皆さん一人一人が幸运に恵まれ、それぞれに悔いのない人生を送られるよう心から祈念し、そして、东京大学で过ごされた月日が皆さんにとって忘れがたい、実り多いものであったことを祈念して、私の告辞と致します。

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