平成31年部局长の交代のお知らせ


部局长の交代のお知らせ
平成31年4月1日付で、下记のとおり各部局长の交代がありました。新部局长を绍介するとともに、退任された部局长のご挨拶を掲载します。
部局名 | 新部局长 | 前部局长 | 任期 |
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大学院法学政治学研究科?法学部 | 大澤 裕 | 岩村 正彦 | 2019年4月1日~ 2022年3月31日 |
大学院医学系研究科?医学部 | 齊藤 延人 | 宮園 浩平 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大学院人文社会系研究科?文学部 | 大西 克也 | 佐藤 健二 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大学院理学系研究科?理学部 | 武田 洋幸 | 再任 | 2019年4月1日~ 2020年3月31日 |
大学院农学生命科学研究科?农学部 | 堤 伸浩 | 丹下 健 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大学院経済学研究科?経済学部 | 渡辺 努 | 持田 信樹 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大学院総合文化研究科?教养学部 | 太田 邦史 | 石田 淳 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大学院教育学研究科?教育学部 | 秋田 喜代美 | 小玉 重夫 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大学院薬学系研究科?薬学部 | 一條 秀憲 | 再任 | 2019年4月1日~ 2020年3月31日 |
大学院新领域创成科学研究科 | 大崎 博之 | 三谷 啓志 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
医科学研究所 | 山梨 裕司 | 村上 善則 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
地震研究所 | 佐竹 健治 | 小原 一成 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
大気海洋研究所 | 河村 知彦 | 津田 敦 | 2019年4月1日~ 2021年3月31日 |
先端科学技术研究センター | 神崎 亮平 | 再任 | 2019年4月1日~ 2022年3月31日 |
退任の挨拶
岩村 正彦(前大学院法学政治学研究科長?法学部長)
――退任にあたって
3年の任期を终え、退任することになりました。任期中、いくつかの课题に直面しました。文科省の事业を先取りして学内措置として始まった卓越大学院の一つとしての先端ビジネスロープログラムの立ち上げとその着実な运営の実现、融合研究プロジェクトの立ち上げと推进、アジア法教育プログラムの拡充、そして法学政治学教育?研究の一层の国际化の推进などです。先端ビジネスロープログラムについては、その充実を検讨してきましたが、その実现は来年度以降になります。アジア法教育プログラムは担当して顶いてる教员の皆様のご尽力で拡充が进んでいます。教育?研究のさらなる国际化についても、海外の研究者をゲストスピーカーとして招聘して英语で讲义をしてもらうなど、挑戦的な事业を进めています。次期研究科长の下でこれらのプロジェクト等はさらに推进されていくものと思います。
法学政治学研究科も大学内外の急速な动きと无縁でいることはできません。そうした动きに対応しつつ、法学政治学の教育研究の独自性を维持し、かつより一层质の向上を図っていくことがこれからの课题でしょう。
3年间の任期を何とか全うすることができたのは、研究科?学部の执行部の先生方、事务长をはじめとする事务职员の皆様、そして、総长?理事をはじめとする大学本部のご支援によるものです。在任中に顶いた多くの方々のご助言、ご支援に感谢致します。
宮園 浩平(前大学院医学系研究科長?医学部長)
――长い间お世话になりました
平成21年4月から8年间医学系研究科长?医学部长を务め、この度退任しました。着任直前の平成21年3月11日に东日本大震灾が発生し、学生の皆さんを受け入れ、讲义や実习ができるかどうか不安な中での出発でした。皆様のご协力により无事に任务を终えることができたことに感谢しております。
医学?生命科学はこの间もめざましく进歩しました。医学系研究科は世界トップ拠点ニューロインテリジェンス国际研究机构滨搁颁狈の発足に参加することができ、また理学系研究科と协力して最先端のクライオ电子顕微镜の设备を整えることができました。またゲノム科学の进歩により、附属病院ではがんのゲノム医疗が本格的にスタートしました。こうした科学の発展に研究科として関わることができたことが最大の喜びであり、この时期に研究科长を务められたことを幸せに思っています。
体力はない方だと思っていましたが、病気で休むこともなく任务を终えることができたことに改めて感谢し、退任の挨拶をさせていただきます。
佐藤 健二(前大学院人文社会系研究科長?文学部長)
――人文と社会の意义を高く掲げつつ
平成29年4月から2年間、ほんとうにお世話になりました。人文社会系は、全学からはひどく冷たく扱われ、孤立して追い詰められているとの流言のなかで、慣れない職務を始めました。しかし実際には、暖かな応援と期待と厚意とをもって遇せられることが多く、ありがたく思います。文学部には、中世末期の「荘園」のように多様な、大小さまざまの専門の研究室があります。そのうえに、弱い「幕府権力」の執行部が、時代と向き合うための対応を推し進めているとの構造が描けるかもしれません。思うに、分権自治の構造のしぶといところ望ましいところを活かしつつ、境界を越える「楽」の力を自由に生み出し、想像力と啓蒙において「文」の学術が果たしてきた意義をあらためて高く、現代に掲げる。そんな大学の组织としての提案が、求められているような気がします。感謝とともに、バトンを次の研究科長と執行部に渡します。文学部?人文社会系研究科を、今後ともよろしくお願い申し上げます。
丹下 健(前大学院農学生命科学研究科長?農学部長)
――退任にあたって
2015年4月より4年间にわたり农学生命科学研究科长?农学部长を务めさせていただきました。五神総长のリーダーシップのもとでの大学运営から大学経営へのダイナミックな改革に始めから研究科长として参画させていただき、代えがたい経験をさせていただきました。
この间に研究科では、多くの教职员の方々に参画いただき、大学院生や若手教员?研究者の海外経験や他分野との共同研究の促进や、実学の観点からの农学教育の改革など、次世代を担う人材の育成を目的としたプログラムをスタートさせることができました。持続可能な未来社会の构筑には、农学が担う食料生产や生物资源、环境の持続性が不可欠であり、それを実现するには多様な分野の方々との协働が必要です。未来社会の协创に関わる人材の辈出に贡献する成果が生まれることを期待しております。
最后になりますが、ご支援いただきました多くの教职员の方々に心より感谢申し上げるとともに、本学の益々の発展を祈念いたしております。
持田 信樹(前大学院経済学研究科長?経済学部長)
――退任にあたって
平成29年4月から経済学研究科长?経済学部长を拝命し、2年间の任期を终えて、この度退任しました。不惯れな私を支え、导いていただいた副研究科长や本研究科の教职员の皆様に感谢いたします。念愿であった国际総合学术研究栋が部局の过度な负担なく竣工できたこと、叡智を结集した政策评価教育研究センターの立ち上げや先端経済国际卓越大学院の発足などいずれも大学本部の支援や関係部局の协力なしには考えられませんでした。グローバルな人材获得竞争に直面し、优秀な头脳を集める求心力がいかに大事であるかを毎日のように考え続けた2年间でもありました。経済学部は平成31年4月、创立百周年を迎えますが、ここ数年が「次の百年」にむけた土台づくりの胜负だと思っています。経済学研究科が日本、アジア、さらに世界における経済学の研究?教育の拠点として発展することを心より祈念いたします。
石田 淳(前大学院総合文化研究科長?教養学部長)
――理念と现実の间
研究科の「総合文化」と学部の「教養」には、英語名称ではどちらにもArts & Sciences をあてる。任期中は、教養とは、総合的に思考する文化への主体的関与だと、ことあるたびに繰り返した。ただ、研究科長の職務の現実はこのすっきりした教養の理念からはほど遠いものであった。研究科の重層性?広域性ゆえに、ありとあらゆる種類の陳情のため本部に赴き、ヒアリングなどを通じて全学に向けて駒場の窮状を訴えることになった。生まれ変わっても経験できないおびただしさの陳情を、この二年間の任期の間に体験したが、それに対して何度となく善処していただいた。退任にあたり、こころから感謝申し上げる次第である。
小玉 重夫(前大学院教育学研究科長?教育学部長)
――东大の変革を駆动する部局に
2017年の4月から2年间、教育学部长?教育学研究科长をつとめさせていただきました。この间、部局の教职员のみなさま、全学の教职员のみなさま、そして学生、院生のみなさまには、たいへんお世话になりました。
戦后の长い时代、东京大学は大学受験体制の顶点に位置してきましたが、そうした高度成长期型の体制は改革を迫られ、新しい高大接続のあり方が模索されています。その流れをふまえて、东京大学は五神総长のもとで、「変革を駆动する大学」として自らの役割を积极的に定义し直し、新たな価値を创造する知の担い手の拠点として生まれ変わろうとしています。
以上のような変化は、东京大学における教育学研究科の存在意义と役割の再定义を不可避のものとしています。戦后の东大教育学部は、社会体制に対して自らを批判的な位置に置くことによって、存在意义を确保してきた面がありました。今后は、そうしたエートスをしっかりと継承しつつも、东京大学が「変革を駆动する大学」になることを促す部局へと発展していくことが、教育学研究科には求められていると思います。本部局へのますますのご支援をお愿いし、私からの退任の挨拶といたします。
三谷 啓志(前大学院新领域创成科学研究科長)
――新领域をつなぐ
2017年度より、新领域创成科学研究科を2年间にわたって务めさせていただきました。
研究科长としては、后悔することばかりですが、学内外のこれまで出会えなかった多くの方々と交流を深める机会をいただきましたことは、私にとってかけがえのない体験でした。「新领域创成」という名称は、新たな课题にチャレンジし続けること、それまで混じり合うことがなかった研究者と大学院生が、既成の概念を超えて异分野にチャレンジし続けることを课しています。研究分野の多様性とその奥行きの深さをともに夸る东京大学においてこそ、それを実现しうることを実感した2年间でもありました。研究科长として、人と人をいかにつなぐかを念头に试行错误を繰り返してきましたがまだ道半ばです。なんとか任期を终えることができましたのは、総长?理事をはじめとする大学本部関係者、研究科の教职员、学生のすべての方々の支援の赐物です。本当にありがとうございました。
村上 善則(前医科学研究所長)
――進化し続ける组织の醍醐味
4年間、医科研を無事運営でき、まずは本部、所内外の関係各位に御礼申し上げたい。研究を取り巻く環境は厳しいが、医科研が元気な部局の代表として活動し、評価もされ続けたことを誇りに思う。また、附置研の特徴を重視し、学内機構?连携研究机构に参画すると共に、文科省学術支援基盤やAMED橋渡し研究、バイオバンク等の大型基盤事業を誘致し、学術コミュニティーの中核として発展させたこと、さらに、北京アジア感染症拠点や2015年に生研と共同で設立した東大ニューヨークオフィスを基盤に、生物医学系では唯一の国際共同利用?共同研究拠点に今年度認定されたことは大きな収穫であった。2017年には創立125周年?改組50周年事業を実施したが、激動の中で病原体から疾患遺伝子、ビッグデータへと研究を進化させ続けてきた医科研の歴史を再認識し、さらなる発展に挑む醍醐味を味わえたことは最大の喜びである。今後も五神総長の下、変革を駆動する東大の一員としての医科研をご支援頂きたい。
小原 一成(前地震研究所長)
――4年间の所长业务を振り返って
2015年度から2期4年间に渡り地震研究所长を务めさせていただきました。この间、所长として数10年に一度という确率で回ってくる业务(名誉教授选考委员会委员长、国立大学共同利用?共同研究拠点协议会会长など)も含め、数多くの通常では得ることのない経験をさせていただきました。また、任期中に进められた学内予算配分システム?働き方改革などの様々な事业、共同利用?共同研究拠点の评価や予算削减など、次々と新たな课题が生じてきましたが、何とか所长业务を全うすることができたのは、所内の职员?教员の皆様のご尽力のお阴であり、改めて感谢したいと思います。
ところで、地震の研究はかなり进展し、その発生メカニズムはよく理解されてきましたが、発生时期を特定することはいまだに困难です。いつ起きるか分からない事象に対する备えを万全にし、キャンパスの安心?安全性を更に高められることを期待しつつ、退任の挨拶とさせていただきます。
津田 敦(前大気海洋研究所長)
――退任にあたって
2期4年の任期を终え2019年3月に大気海洋研究所所长を退任しました。お世话になった方々に心より御礼申し上げます。
一研究者が突然管理职を任されて、戸惑うことばかりでしたが、结果としては大変楽しい4年间でした。职员となって初めて研究所や大学の规则に目を通し、総长の话を理解しようと腐心し、政府の方针にまで耳を倾けました。役目を全うできたとは思いませんが、新しいことにチャレンジする喜びは研究者の本能のようなものだとも感じました。最も印象的だったことは、梶田先生のノーベル赏受赏に柏キャンパスの一员として立ち会えたことと、东日本大震灾で壊灭的な被害を受けた岩手県大槌町の研究施设の復旧に立ち会えたことです。この施设では社会科学研究所の协力を得て地域のローカルアイデンティティ再构筑を目的とする「海と希望の学校颈苍叁陆」を开始しました。产声を上げたばかりの活动ですが、皆様の温かいご支援を切にお愿いします。
今后も微力ながら本学の発展に贡献できればと考えておりますので、どうぞよろしくお愿いいたします。