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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

船にのって侵入する戦国大名の絵

书籍名

歴史文化ライブラリー 421 琉球王国と戦国大名 岛津侵入までの半世纪

着者名

黒嶋 敏

判型など

240ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2016年2月19日

ISBN コード

9784642058216

出版社

吉川弘文馆

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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いまは日本の一部となっている冲縄県に、かつては琉球という国家があったことはよく知られている。中国の皇帝から「国王」に册封されていた事実が示すように、小さいながらも独自の王朝として、アジア国际社会においても広く认知されていた。歴史上の琉球は、中国と日本の间にあって存在感を保ちつつも、徐々に日本へ従属していく度合いを强めていく。そのなかでも国家体制を大きく変容させることになった契机の一つが、1609年におきた岛津侵入事件である。以后、琉球が日本の江戸幕府と萨摩藩主岛津氏の强い影响力のもとに置かれるようになることから、琉球史における时代の転换点と位置づけられており、事件そのものも、これまでは岛津氏という军事的な强者による武力侵攻と理解されることが多かった。
 
だが同时代性の高い史料から确実な情报を纺ぎだして読み解いていくと、当时の岛津氏の実态は、いわれているような强者というイメージからはほど远い。戦国时代の最末期に九州で最大の势力を夸ったのは事実だが、急激に膨张したために内部统制が十分ではなく、日本を统一した豊臣秀吉や徳川家康といった天下人に服属する过程でも様々な矛盾や轧轢を抱え込んでいた。そうした岛津领内の危机的状况を少しでも解消させる方法として、琉球への军事侵攻が実行されたのであり、それを后押ししたのは徳川家康であった。こうした周辺诸国への武力侵攻としては、豊臣秀吉の挙行した朝鲜出兵が有名だが、家康もまた同様の指向性を持っており、岛津氏がそれを代行した侧面もあるのである。
 
またこの时期は、日本だけでなくアジアでも大きな変革期を迎えていた。大航海时代の波がアジアにも押し寄せ、それまでの琉球に优位性を与えていたさまざまな要素が、次々に失われていったのである。中継贸易による繁栄と国力の充実は过去のものとなり、琉球は衰退局面を迎えていた。新たな国际情势のなかで地盘沉下していく琉球と、新兴の戦国大名として南九州の足场を固めつつあった岛津氏と、隣り合う両者の関係は、必然的にせめぎ合うものとなる。そこに、さらなる紧张感を与えたのが、日本に登场した天下人なのであった。

军事侵攻に至る过程において、岛津氏と琉球の间の外交関係は徐々に紧迫感を増していく。だがそれは、両者だけで完结するようなものではなく、アジア情势や日本の统一政権との関わりを抜きにしては考えられない问题なのである。

 

(紹介文執筆者: 日本?アジアに関する教育研究ネットワーク (ASNET) / 史料编纂所 准教授 黒嶋 敏 / 2021)

本の目次

四〇〇年の彼方へ―プロローグ
尚元と岛津贵久(第二尚氏王朝/戦国大名岛津氏/あや船と印判/五五年体制)
尚永と岛津义久(二つの代替わり/义久へのあや船/戦国大名岛津氏と印判/尚永の外交転换)
戦国大名の武威(拡大する岛津领国/织田信长と义久/地域の公仪として/譲歩する尚永)
尚寧と岛津义久(天下人のもとで/尚寧と天下人秀吉/打ち上げられた唐入り/义久の外交ルート)
岛津侵入事件(出兵の理由/不思议な文书/出兵前夜/尚寧の出仕)
琉球と岛津の半世纪―エピローグ

関连情报

书评:
本郷和人 評「丹念に追った、変化する関係」 (朝日新聞 2016年3月27日)

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