建物が语る日本の歴史
建築史は建物の構造やデザインの発展、空間の使い方などを研究してきた。いっぽうで建物そのものが持つ意味や象徴性について正面から語られることは少ない。そこで本書では原始から近代初頭までの建物を技术史的、あるいは機能的な側面からとらえるだけではなく、社会のなかで捉えなおすことで、建物の意味を通史的に描き出した。それゆえ、本書はもちろん日本建築史の教科書という側面もあるが、むしろ建築学以外の方にも建築を通して、新たな視点から歴史に触れてもらいたいという思いで執筆したものである。
古代の宫殿や都城は律令国家を象徴するものであったし、城郭の天守は武家政権の支配装置であった。同様に书院造の座敷构えや座敷饰りも権威装置の一つであった。また东大寺大仏殿をはじめ、宗教建筑が権威性を示す施设として建てられることも少なくなかった。
いっぽうで、床の段差や天井の形式での空间の区别は、建筑表现としては比较的弱く、繊细なものであり、共通文化圏内において共通理解があってはじめて理解されるもので、日本建筑の醸成されてきた环境を示している。これに対し、江戸期の芝居小屋や装饰の富んだ巡礼のための寺社建筑は民众の力の盛隆を示すものであった。いわば建物は歴史の表出であったのである。
建筑の场所や形にも、継承と革新が织り交ざっている。平安宫大内里の地に豊臣秀吉の聚楽第は建てられ、明治期の官舎や学校などの公共施设は城跡や旧武家地に建てられた。いずれも以前の権威性を否定し、踏袭する行為である。
形についていえば、中世の东大寺では新たな形で復兴がなされたのに対して、兴福寺は奈良时代の规模や古式な形状を坚持した。これに対して新しい宗派である禅宗は新たな意匠や构造で诸建筑を建てており、既存宗教とは建物の意匠で差异を强调した。とくに禅宗寺院の建立は武家政権と结びついており、その建立や五山の制度は権威性を帯びていた。
歴史研究は现代に通じる要素も少なくない。たとえば高度経済成长期にもメンテナンスは十分に计画されておらず、新规造営が优先され、近年、そのころのコンクリート造の构造物がメンテナンスの时期を迎えている。メンテナンス计画はなく、后回しにされたのであるが、奈良时代にも新筑工事が优先され、メンテナンスは后回しという同様の状况であった。まさに歴史か繰り返されているのである。
材料の面でいえば、太い材料の入手は次第に供给が困难になり、江戸时代に再建された现在の东大寺大仏殿では、柱を一本の木から作るのではなく、集成材としている。いっぽうで梁は构造上、一材とする必要があり、巨材を求めて全国を探し回って、日向国(现在の宫崎県)から运んでいる。现代も巨大な木材の确保には苦労しており、2018年の兴福寺中金堂の再建ではカメルーンに柱材を求めている。また歴史的建造物の修理では伤んだ部材を取り替え、これにも巨材が必要となる。こうした木材の需要と供给に関する问题は建筑の枠を超え、林业とのかかわりが大きい。
さて、歴史と建物という意味では东京大学は加贺藩前田家の上屋敷と引き継いでおり、かつての様子を赤门や叁四郎池にうかがうことができる。特に赤门は江戸时代の社会性の表出する建筑の好例である。なぜこの门は赤色をしているのであろうか。そして赤门は一つではなかった。これらの答えは本书の中で探してもらいたい。
(紹介文執筆者: 工学系研究科 准教授 海野 聡 / 2019)
本の目次
1 集落の形成と農耕
よもやま話1 大工さんの秘密道具
2 王権と巨大建造物
よもやま話2 建物の出生証明書
3 仏教公伝と寺院建立
よもやま話3 薬師寺東塔移建?非移建の一〇〇年論争の開幕
4 律令と都城の形成
よもやま話4 薬師寺東塔移建?非移建の一〇〇年論争の決着
5 建築の国風化
よもやま話5 巨大建築の背比べ
6 南都復興と新時代の幕開け
よもやま話6 修理は後回し
7 戦乱による破壊と桃山の栄華
よもやま話7 勝手が違う
8 近世の太平と火事
よもやま話8 巨木を探し求めて
9 民衆文化の盛隆
よもやま話9 建物の引っ越し
10 近代日本の黎明
よもやま話10 修理のための方便
おわりに ―建築の意味と歴史
あとがき
参考文献
図版出典一覧
関连情报
著者から読者へ 海野 聡 (週刊読書人ウェブ 2018年10月19日)
书评:
建筑が映し出す日本史 奈文研?海野聡研究员 (毎日新闻夕刊 2018年8月20日)
刊行记念イベント:
五十嵐太郎 × 海野聡「建築にとって日本とはなにか」 (ゲンロンカフェ 2018年8月3日)