Boomsbury Shinto Studies The Origin of Modern Shinto in Japan The Vanquished Gods of Izumo
「神道」と言えば、日本列島に住んでいる人たちにとってごく身近な存在であり、神社、祭り、初詣、お守りなど日常生活の一部となっている慣習と文化だと言えよう。それゆえ「神道は日本の民族的宗教だ」という根強い考え方がある。一方、戦後以来の学術研究において、「神道」といったものは社会、文化、または国家としての「日本」との関係が大きな研究問題となっており、日本国内と海外において研究者が互いに批判的な研究立場をいくつか取りながら研究を進めてきている。概ね、1、神道は日本の民族的宗教と文化である、2、神道は専制的な近代天皇制国家のイデオロギー的装置であった、3、神道は歴史的起源を持つ慣習でありながら政治的な面も持っていた/いる、という三つの立場があると言える。本著者は3番目の立場をとり、The Origin of Modern Shintoを書き上げた。
大きな特徴として、この本は1、「神道」を含め神道研究に重要な概念と単语を完全に歴史化する。つまり、神道といったものが歴史上ずっとあったという前提をせずに、いつ、どのように「神道」という言い方が使われ始めたか、なぜ人々が「神道」を使おうとしたか、そして「神道」で何を指し示そうとしたか、を问题にする。これらの问いで调べてみると、意识的に「神道」を使い始めたのは、十六世纪の吉田神道であったことが分かった。2、「神道」を歴史化するというのは、天照大神が神道の最も尊い神様、天照大神を祀る伊势神宫は神社の中で一番重要だという考え方を取らずに、むしろ今当たり前のようなこの考え方はどのように形成されたかを问题化する。このように史料を调べると、近世期において出云大社とその神様大国主命は、伊势神宫と天照大神に负けない社会的な影响力があったことが分かった。そして、その影响力が如何に生まれたかを近世末期におけるグローバルな政治的文化的な动きと関连付けて追究した。さらに、明治期に出云大社と伊势神宫の间で起こった论争に着目し、如何にこの论争で大国主命が天照大神の地位を胁かしたか、その胁威によって明治国家の正当性が危うくされたかを追究した。3、概念を歴史化するというのは、「宗教」とは近世までなかった概念、明治期に入ってから初めて西洋から导入された概念であったという理解をすること。そうすると、そもそも「神道は日本の民族宗教」という考え方が、「宗教」という近代的概念が日本に入ってから可能となったことが分かる。「宗教」概念を歴史化することで、明治期の「神道」と「宗教」の関係に注目し、新しい神道の歴史を书くことができた。简単に言うと、明治政府は、天照大神に挑戦した大国主命を私的なものとしての「宗教」と定义することで、天照大神に対する仪礼が公的な、国民全员参加すべきものだと定义でき、それによって明治国家は政教分离ができた、つまり近代国家となるための重要な条件のひとつをクリアした政治権力として出発することができたのである。
(紹介文執筆者: 东洋文化研究所 准教授 鍾 以江 / 2018)
本の目次
Acknowledgements
Note on Text/Translation
Introduction
1: Resurrecting the Great Lord of the Land, 1653-1667
2: The Month without the Gods, 1600-1871
3: True Pillar of the Soul, 1792-1846
4: Converting Japan, 1825-1875
5: Competing Ways of the Gods, 1872-1889
Conclusion The Izumo Gods, Nation, and Empire
Notes
Bibliography
Index
関连情报
1, Review by Carole Cusack. Alternative Spirituality and Religion Review 8:1 (2017)
2, Review by Mark Teeuwen. Japanese Journal of Religious Studies 44/2: 325–332
3, Review: Jolyon Thomas on studies of Shinto, H-Japan (Nov. 14, 2017)