柳田国男の歴史社会学 続?読书空间の近代
日本民俗学の創始者として名高い柳田国男の学問を、「歴史社会学」として解読する視点を提供しているところが新しい。その資料?データの収集と分析の方法に焦点をあてるだけでなく、研究する主体の生成や、成果の公表?共有の形態にまで視野を拡げ、学知そのものの公共的な存在形態を論じている点に、社会学としての特質がある。『読書空間の近代: 方法としての柳田国男』(弘文堂、1987) の続編を名のる所以である。
「方法としての柳田国男」という视点の深化は、1998年から刊行が始まった新しい『柳田国男全集』(全36巻予定、筑摩书房)の企画と编集にかかわったからである。第1章で论じているように、柳田国男が残したさまざまなテクストをどう読者に开き、どんな顺番で并べるか。资料集をつくるための単纯な课题のようでいて、じつは一人の思想家をどう捉えるかという、研究にとって本质的な问题でもある。そこで选ばれた公刊の时系列という原则は、柳田自身のテクスト生成の歴史的な时间轴に寄り添おうとするものだ。
しかしながら30巻以上にもわたる全集の構築は、一冊一冊が独立した書物の企画編集と、まったく押さえるべき <全体> が異なる。農政学から文学、さらに伝承の研究から生活世相の分析や国語教育による社会改造にまでおよぶ、多様で複合的な柳田の活動の遺産でもあるテクスト空間の全体をどのように描き、いかなる秩序を与えて表象するのか。この課題は、ただ単なる時系列の原則の選択で解決されるものではない。すぐに「著者とはなにか」「作品はどこで完結したといえるのか」「なにをもって公刊ととらえられるのか」「見出しや索引や挿絵に託された意味とはなにか」等々の、社会学的でメディア論的な問題を提起する。そうした不可避の課題の検討のなかから、1971年の年譜?総索引の巻をもって完結した『定本柳田国男集』(全36巻) が、いかに従来の柳田国男研究を縛ってきたかが明らかにされ、そのテクスト空間を流動化する必要と、構築しなおすための具体的な手法が語られる。
この本の独自性は、歴史社会学としての民俗学を日本近代の知の <運動> ととらえ、その可能性を具体的なテクスト分析にもとづいて明らかにしようとしている点であろう。第1章の全集の議論も、第2章の『遠野物語』の位相の分析も、第3章の写真論も、さらには最終章の「民俗学史」の再検討も、そうした作業そのものである。第4章や第5章の検討が,1990年代にかまびすしかった「国民国家論」的な批判や、「植民地主義」イデオロギーに内閉した知識人としての柳田国男の描き方をおだやかに退けているのは、その批判がテクスト解釈において間違っているだけではなく、新たな構築の構想力を生みだす覚悟において貧弱だからである。
その意味で、この一册は新しいテクスト空间にむけた个性的な手引きであると同时に、歴史社会学という闻き惯れない分野の创出を意欲する入门书でもある。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 佐藤 健二 / 2017)
本の目次
第1章 テクスト空間の再構成 --『柳田国男全集』の試み
第2章 「远野物语」から「郷土誌」へ
第3章 柳田国男と写真 --「自然主義」と「重ね撮り写真」の方法意識
第4章 方法としての民俗学 / 運動としての民俗学 / 構想力としての民俗学
第5章 近代日本民俗学史のために
関连情报
矢野敬一「書評 佐藤健二著『柳田国男の歴史社会学 続?読书空间の近代』」『口承文藝研究』39号:pp.216-220、2016
河村清志「書評 佐藤健二著『柳田国男の歴史社会学 続?読书空间の近代』」『口承文藝研究』39号:pp.220-225、2016