真木悠介の诞生 人间解放の比较=歴史社会学
「见田宗介=真木悠介」の社会学を时系列で论じた作品である。真木悠介こと见田宗介は、私自身が「社会学」を専攻するきっかけとなった「师」にあたる。评伝と受けとめる読者もあろうが、卓越した事绩の批评ではない。あえていえば、迷いつつ悩みつつ进路を见いだしていった个人のフィールドワークである。学史研究でもない。作品=テクストに现れた方法と理论的実践とに焦点をあわせた分析であり、社会学の可能性への招待である。
真木悠介は、见田宗介のいわば「双生児」であり、マルクスの重厚さとカスタネダの軽やかさを使いこなし、鹤见俊辅や柳田国男や永山则夫や宫沢贤治らと深く交流する魂をもつ。その名のもとで『人间解放の理论のために』『现代社会の存立构造』『気流の鸣る音』など、壮大で独创的で明晰な作品が书かれた。副题に掲げた「人间解放の比较=歴史社会学」は、その师がこころざし梦みた学问を指し示すと同时に、私がそこで学び、自分なりに受け継いで発展させた方法の名称である。「なぜ见田宗介は真木悠介を必要としたのか」の问いは、この本の探究をじっくりと贯く。私自身の最初の着书の副题「方法としての柳田国男」にならっていえば、「方法としての真木悠介」というタイトルの选択もまた可能だったかもしれない。
学部卒业时のデビュー作「纯粋戦后派の意识构造」をはじめ、章のすべてが着者の论文名なのは、対象がテクストおよびテクスト空间であることの确认である。10篇のそれぞれの论考がいかなる问题意识のもとで、どのように书かれたのかにこと寄せて、见田の戦争体験、戦后意识、方法论の模索、ユートピア、コミューン、人间解放等々の试みが、复雑にからみあい、呼応するものとして解説される。
全共闘运动の问题提起に対して応答し対话する人格として、真木悠介が现れたことは、ひとつの発见であった。都市社会学の试论だと位置づけられることも多い「まなざしの地狱」は、大きな転换点を构成している。転换は大学闘争の情况と向かいあうなかで生みだされ、社会心理学者から社会学者への転回や、物象化论としての存立构造论や、比较社会学的な「交响するコミューン」の解放论を现出させていく。そうした人间解放の理论と、社会构想のための比较社会学に向かう运动の触媒となったのが、『明治大正史世相篇』の独特な歴史认识の见田による読解であり、方法论を选び编みだす「メタ方法论」とも呼ぶべき柳田国男の実践の解読であった。见田が若き日に热中した「社会心理史」だけでなく、1980年代に脚光を浴びるとともに、ひどい误解にさらされた「比较社会学」もまた、ほんとうはもうひとつの歴史社会学だったのだと、私は论じている。
见田宗介が向かいあった问题は、じつは私たちの问题でもある。质対量の冷戦体制の克服、フィールドとしての个人の可能性、调査研究のテクノロジーの再検讨など、现代社会学の方法论的な课题を意识しつつ书いた。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 佐藤 健二 / 2022)
本の目次
1章 「纯粋戦后派の意识构造」
2章 「死者との対话」
3章 「现代における不幸の诸类型」
4章 「质的データ分析の方法论的诸问题」
5章 「近代日本社会心理史の构想」
6章 「解放の主体的根拠について」
7章 「未来构想の理论」
8章 「まなざしの地狱」
9章 「「共同体」のかなたへ」
10章 「柳田国男『明治大正史世相篇』解説」
结の章 未来构想の梦よりも深く
书誌篇 地図としての着作论文目録
関连情报
浅野智彦 (東京学芸大学教育学部) 評 (「社会学評論」第72巻第1号p.60-61 2021年)
片上平二郎 評 (「週刊読書人」p.4 2021年2月5日号)
Booksコーナー: 苅部直 評 (「東京人」p.136 2021年2月号)
野村一夫 評「真木悠介について」 (野村一夫 - Medium 2021年1月31日)
今週の本棚: 橋爪大三郎 評 (毎日新聞 2021年1月16日)
鈴木洋仁 (社会学者?東洋大研究助手) 評「なぜ別名を使ったのか」 (読売新聞 読書欄 (12面) 2020年12月20日)