东京大学教职员?学生の手记「东日本大震灾とその直后の復旧作业を现场で経験して」
東日本大震災 - 东京大学教职员?学生の手记
平成23年3月11日に発生した东日本大震灾発生时の様子やその后の行动、対応、感想等を本学関係者に手记として执笔してもらいました。
东日本大震灾とその直后の復旧作业を现场で経験して
大気海洋研究所特任研究员 山根広大
(当时:农学生命科学研究科博士课程3年?大気海洋研究所附属国际沿岸海洋研究センター所属)
2011年3月11日の午前中、私は宫古湾でフィールド调査を行っていた。いつも通り何事もなく调査を终え、大槌町にある大気海洋研究所附属国际沿岸海洋研究センター(以下 センター)へ向かった。地震が発生した时、私は3阶にある自分のデスクにいたが、センターにいらした他の皆さんと共に速やかに外へ出て高台へ移动したため、3阶をも饮み込む大津波から逃れることができた。さらに、火灾が目の前まで迫ってきたため、真っ赤に染まった空から降る大量の火の粉を浴びながらも、高台からさらに山を越えて反対侧まで避难した。
私たちを快く受け入れて顶いた老人ホームではラジオを聴くことができ、私の実家がある宫古市も深刻な状况であることがわかった。家族の无事を信じるしかなかったが、ラジオから何度も闻こえる「壊灭」という言叶が私に最悪の状况を覚悟させた。大槌町から宫古市まで移动するにあたり本当に色々な方々に助けていただき、远回りに远回りを重ね、13日の夕方になんとか実家まで辿り着くことができた。津波は7.5尘の堤防を乗り越え、家の数メートル手前まで押し寄せていたが、幸いにも家族も家も无事で本当に安心した。
大槌町と同様に宫古市も津波によって大きな被害を受けており、しばらくの间、私は実家周辺の復旧作业にあたることにした。地域の皆さんと协力して、道路を覆っていたヘドロやがれきを除去したり、安否确认のため避难所をまわったり、支援物资を配ったり、给水车の手伝いをしたり……できる限りのことをやった。ある程度状况が落ち着いてから、センターへ様子を见に行った。地震発生时には、まさかこんなに大きな津波が発生するとは思わず、研究データをはじめ色々と大事な物をデスクに置いたままだった。部屋には津波が流入し悲惨な状况ではあったが、ヘドロまみれになった书类の一部と錆びた笔颁?鲍厂叠メモリを见つけることができた。仅かな望みを持って鲍厂叠メモリを川の水で洗い、日光で何日も乾燥させ、家の笔颁に恐る恐る差し込んでみると、惊くべきことにデータを取り出すことができた。研究を再开することは諦めていたが、谁かに「まだ続けなさい」と言われているような気がした。
后ろ髪をひかれる思いであったが、4月中に柏へ引っ越し、久しぶりに研究を再开した。大気海洋研究所の皆さんをはじめとした様々な方々に格别の便宜を図って顶いたおかげで、非常に恵まれた环境で研究を始めることができた。流出した书类やデータの収集?整理に相当な时间を使わざるをえなかったが、奇跡的に復活した研究データは幸いにも博士论文となり、そのおかげで今は研究员として働かせていただいている。
震灾以来、3月11日は私にとってより一层大事な日となった。私を育ててくれた故郷の皆さんに、今の当たり前の生活を支えてくれる家族?仲间に、そして3月11日に私を产んでくれた両亲に、心から感谢する日にしたいと思っている。
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