东京大学教职员?学生の手记「东日本大震灾に対する灾害対策本部の実务担当者としての対応等」
東日本大震災 - 东京大学教职员?学生の手记
平成23年3月11日に発生した东日本大震灾発生时の様子やその后の行动、対応、感想等を本学関係者に手记として执笔してもらいました。
东日本大震灾に対する灾害対策本部の実务担当者としての対応等
情报学环?学际情报学府学务係 渋谷 哲
(当时:本部総务课危机管理チーム係长)
灾害対策本部の実务は、时々刻々と発生する事象に対して、情报を的确に捉え、迅速に対応することが求められることが多くありました。
灾害対策本部は滨田総长をはじめとする理事の方々と総务课を中心とする本部各课で构成されていました。
灾害対策本部の业务を列挙すると、学生?教职员の安否の确认、被害状况の把握、灾害対策本部の决定事项(入试や卒业式?入学式など)についての情报発信、帰宅困难者の受入、救援物资の输送手配、放射线に関する文部科学省との连络?调整、警察?消防との连络?调整、復兴対策、大学に寄せられる要望?苦情処理、これらの业务の记録等、といった大きなことから小さなことまで様々ありました。
灾害対策本部の业务の中でも、安否の确认と救援物资の输送については、私にとって対応の一部を担った者として、决して忘れることができない业务となりました。
2011年3月11日14时46分に地震が発生し、本部栋から避难后、総长から灾害対策本部の设置が宣言されました。
灾害対策本部での最初の业务は、安否?被害等の确认でした。本郷、驹场、柏キャンパスにある各部局に连络を取り、人身及び施设への被害等の确认と报告をお愿いしました。
连络すると、どの部局も大混乱しているのが闻いて取れ、その后、刻々と地震発生后の被害状况の报告が入り、地震の规模の大きさを思い知らされました。
情报が入る中、とりわけ大気海洋研究所からの连络は、非常に深刻でした。「岩手県大槌町にある附属沿岸センターから、津波が発生したので避难するとの连络があった」という情报を最后に现地との连络が途絶えてしまい、灾害対策本部の本部员全员が无事を祈りました。
地震発生から一週间后の3月19日に、津波発生时、センターにいた方(学外者を含む)全员が、「いくつかの避难所に避难しており、无事であることが确认された。」と大気海洋研究所から报告を受けた时、本部员全员が安堵し、喜びを分かち合ったことを今でも忘れられません。
また、震灾直后、滨田総长のご决断により、被灾した本学施设(大槌町、茨城県东海村)や东北大学へ救援物资を届けることとなりました。输送にあたって、トラックの手配、东大の大団幕の作成、本富士警察署での灾害紧急派遣用车両のステッカーの交付交渉等を行いました。
救援物资は、财务课を中心に素早く集められ、大学本部にいた职员全员でトラックに物资の积み込みを行いました。4迟トラック2台分の物资が瞬く间に积み込み终わったのを目の当たりにし、大学本部职员の被灾地への思いと団结力のすばらしさに感动しました。
救援物资の积み込み作业
输送トラックに取り付けた横断幕
後日、災害対策本部の業務が震災対応から復兴支援に移る過程で、大槌町や東海村を訪れる機会をいただき、また濱田総長あてに送られた岩手県大槌町赤浜小学校の生徒の皆さんからのお礼の手紙と写真を見せていただきました。
復兴のために何か少しでも协力できればと热い思いがこみ上げました。
最后に、私が灾害対策本部の実务を行うことができたのは、ひとえに、滨田総长や前田理事をはじめとする役员の皆様のご支援、协力してくださった若井総务部长(当时)、大星総务部副部长(当时)、吉田総务课长、本部総务课のみんな、本部、各部局の皆様のおかげです。この场をお借りしお礼申し上げます。
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