东京大学教职员?学生の手记「东日本大震灾の発生を受けて留学生に係る対応等」
東日本大震災 - 东京大学教职员?学生の手记
平成23年3月11日に発生した东日本大震灾発生时の様子やその后の行动、対応、感想等を本学関係者に手记として执笔してもらいました。
东日本大震灾の発生を受けて留学生に係る対応等
新領域創成科学研究科 助教(国际交流室) 松岡 万里
あの3月11日まで、地震は身近な自然灾害で対処にも惯れている、と思っていた。しかし东日本大震灾のあの揺れは、そんな思い込みを吹き飞ばした。地震灾害时の避难训练をずっと受けていた人でさえ恐怖で全く动けなかったのに、地震すら経験したことのない人の恐怖はいかほどだっただろうか。
当时私は自席にいた。どこからともなく「ゴォ~」と地鸣りが闻こえ、今までに感じたことのない不穏な揺れがきた。しばらく収まるのを待っていたが、収まるどころかひどくなる一方だった。建物を出ると、自転车置き场の近くで复数の留学生が动けずにうずくまっていた。いつもは会うと「元気ですか?」とあいさつをし合うのに、その日は目で合図するのが精いっぱい、言叶もでなかった。「大丈夫だから、地震では死なないから。」と留学生に繰り返し伝えながら、自分が今までいた建物から何か落下してこないか外壁をみつめていた。
地震后、各国の大使馆がそれぞれの国民へ日本から出るように伝えたこともあって、しばらくは人が减った。研究科からは安否确认のメールを送信し、安否と居场所の确认があった。メールはほぼ通じたので多くの留学生から「无事である、ここにいる」との回答が早い时期に来ていた。
连日テレビで放送されている津波被害や原子力発电所事故に関するニュースは映像だけでもかなり衝撃的なのに、日本语がわからない留学生はその映像の説明がわからず、恐怖が増幅されていたようであった。また千叶県柏市あたりは、土壌や水道に放射线物质による汚染が认められ、留学生からは「ここは安全か、日本にいてもいいのか」と日々质问が来た。
确かに汚染が认められたものの、その値が人体に将来的にどう影响を及ぼすかについては全くわからない。そのような実験も过去にないらしい。そんな中、この场所に居続けることは自分にとって安全なのか、避难するかしないか决断しないといけない。灾害时には、自分の事は自分でしか决められないと痛感した。报道が伝えることや大学が计测した数値を伝えることにより判断材料を提供できても、その材料をもとにどう判断するのかは个人であり强制できない。ただ大学の役割のひとつとして、适切な判断材料を大学に所属する人に平等に与えることができる体制を机能的な状态で维持することは重要なことであると感じた。
日本は自然灾害が多いので、避难训练も多い。灾害训练を繰り返し受けていても、东日本大震灾时には全くの思考停止となってしまった。避难训练は「地震が来たらこう动く」ことを学ぶのではなく、复数の避难方法?対処方法を学び、実际に灾害があったときに、どの避难方法?対処が最适なのか瞬时に决断できるように引き出しを増やしておくためにある、と思う。この手记もその引き出しの一つとなれば幸いである。
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