东京大学教职员?学生の手记「东日本大震灾の発生を受けて救援物资调达等の対応」
東日本大震災 - 东京大学教职员?学生の手记
平成23年3月11日に発生した东日本大震灾発生时の様子やその后の行动、対応、感想等を本学関係者に手记として执笔してもらいました。
东日本大震灾の発生を受けて救援物资调达等の対応
本部契约课调达企画チーム 钓巻 勉
东日本大震灾発生时、関东地方においても大きな揺れが袭った。鉄道各路线は运転を停止し、携帯电话は概ね不通となった。被灾地から数百キロ离れた首都圏で、あれほどの影响が発生するとは想像もできなかった。首都圏は半ば机能を停止し、混乱した。
震灾の影响は、その后东日本の広い地域に拡大した。震灾発生から2日后にはガソリンや食品などの生活用品が不足しだした。主に物流がマヒしたためである。现在の生活は、复雑な物流网に支えられており、その网目の一つに支障が出れば物流全体が停滞し、それが社会生活に大きな影响をもたらす。漠然とした不安が东日本を覆った。今まで「普通」であることが普通でなくなり、「当たり前のこと」は、安定した繊细な环境でのみ成り立つ「有难いこと」なのだと思い知った。
一般家庭と同様に、本学の物资调达においても困难が生じた。问题は、物资の调达と、それを运搬する手段の确保の2つの壁である。たとえば、ガソリンは法令により専用の携行缶で运搬する必要がある。当时、ガソリンや携行缶の需要が供给を大きく上回り、调达が困难であった。そして运搬する手段の确保も难しい。物资があっても运搬ができなければ意味が无いのである。
震灾后しばらく间、保存食や水等の物资调达が困难になった。非常时になってからの物资调达は出来ないものと考えた方がいい。当然のことながら、平时において物资を準备する必要性を痛感した。
国立大学协会の呼びかけによる被灾した东北大学へ救援物资を発送する取组として、都内の近隣国立大学から膨大な救援物资が本学に集められ、本部栋前に山积みとなった。救援物资は调达した后の适切な管理?仕分け作业と迅速な発送が重要である。この救援物资の発送作业は多くの労力を要するものだったが、本部各部署の职员が协力して作业に対応したため、限られた时间の中で準备を整え、どうにか発送することができた。人の数は足し算ではなく掛け算としてその効果が表れるのだと実感した。他の事にも共通するが、特に非常时において、教职员が役割分担にこだわらず、対応可能な人が自発的に协力するという共通认识を持つことは、灾害対策の重要な要素のひとつではないだろうか。
特に印象に残る救援物资は、岩手県大槌町に食料や生活用品と一绪に送る际に调达した避难所生活をしている子どもたちへのクレヨンや落书き帐などの玩具である。幼い子どもを持つ私としては、切実な想いでの调达となった。これらは取引业者の御协力もあり、迅速に调达することができた。非常时においては取引业者との连携も不可欠であるため、日顷から取引业者との信頼関係构筑の大切さを再认识させられた一幕でもあった。
落书き帐が数百册入った段ボール箱は重く、积み込み作业に苦労したが、避难所の子どもたちの颜に少しでも笑みが戻ることを愿った。
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