沿革
明治 (1868-1912) | |
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10年04月 12日 |
东京大学创设(东京开成学校と东京医学校を合併、旧东京开成学校を改组し、法?理?文の3学部、旧东京医学校を改组し医学部を设置、东京大学予备门を付属) |
11年12月 | 文部省、东京大学に学位(学士号)の授与権を与える |
12年04月 | 东京大学の授与する学士号を法学士?理学士?文学士?医学士?製薬士とする |
13年08月 | 法?理?文3学部に、学士研究科を设置(大学院の前身) |
14年06月 | 东京大学职制を制定(东京大学に総理を置き、4学部と予备门を统辖) |
14年08月 | 諮询会を设置(评议会?学部教授会の前身) |
17年08月 | 本部事务室及び法学部?文学部を神田锦町から本郷に移転 |
18年09月 | 理学部を神田锦町から本郷に移転 |
19年03月 | 帝国大学令公布 工部大学校を统合して帝国大学に改组(法?医?工?文?理の5分科大学及び大学院を设置) |
20年05月 | 学位令公布(学位は博士?大博士とし、授与権者を文部大臣とする) |
20年07月 | 分科大学卒业生に授与する学士号を、法学士?医学士?薬学士?工学士?文学士?理学士とする |
21年05月 | 初めて博士号を授与(法学?医学?工学?文学?理学各5名) |
21年07月 | 工科大学を虎ノ门から本郷へ移転 |
23年06月 | 农科大学を设置 |
26年08月 | 帝国大学令改正(讲座制创设、各分科大学に教授会设置)/帝国大学官制の公布 |
30年06月 | 京都帝国大学の创设に伴い、帝国大学を东京帝国大学と改称 |
大正 (1912-1926) | |
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05年04月 | 伝染病研究所を设置 |
08年02月 | 帝国大学令改正(分科大学を廃し学部を置く)本学に法?医?工?文?理?农の各学部のほか経済学部を新设 |
09年07月 | 学位令改正(大学が授与権、博士は论文提出のみとする) |
09年11月 | 本学学位规则を制定(法学?医学?薬学?工学?文学?理学?农学?経済学の各博士) |
10年04月 | 学年暦を4月1日始业、翌年3月31日终业とする |
10年07月 | 航空研究所を设置 |
10年11月 | 东京天文台を设置 |
14年07月 | 大讲堂落成 |
14年11月 | 地震研究所を设置 |
15年08月 | 本郷区本富士町の前田侯爵邸敷地约42,000尘2を所有(农学部敷地と土地交换) |
昭和 (1926-1989) | |
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07年11月 | 东京帝国大学五十年史(上?下册)を刊行 |
10年07月 | 农学部、本郷向ケ冈弥生町に移転(第一高等学校と敷地交换) |
10年11月 | 外国人の学部入学に関する规程を设ける |
16年10月 | 大学?学部等の修业年限の临时短缩に関する勅令公布 |
16年11月 | 东洋文化研究所を设置 |
17年03月 | 第二工学部を千叶市弥生町に设置 |
20年06月 | 帝国大学処务规程を制定(事务局、学生部を设置) |
21年03月 | 航空研究所を改组し理工学研究所を设置 |
21年08月 | 社会科学研究所を设置 |
22年03月 | 教育基本法、学校教育法公布(大学令等を廃止) |
22年09月 | 东京帝国大学を东京大学と改称(帝国大学令等を改正) |
24年05月 | 第二工学部学生募集を停止 |
24年05月 | 国立学校设置法公布 新制东京大学创设(教养学部?教育学部が新设され、法?医?工?文?理?农?経済?教养?教育の9学部设置)、新闻研究所?生产技术研究所を新设 |
24年10月 | 学部通则一部改正(修业年限4年、前期2年は教养学部、后期2年は各学部において教育、医学部医学科は4年) |
25年03月 | 史料编纂所、文学部附属から本学附置研究所となる |
26年03月 | 东京高等学校を廃止し教育学部附属中学校、高等学校を设置 |
28年04月 | 新制东京大学大学院设置(人文科学?社会科学?数物系?化学系?生物系の5研究科を设置)/学位规则公布(新制度の学位は博士?修士の2种) |
28年08月 | 応用微生物研究所、宇宙线観测所を设置 |
30年07月 | 原子核研究所を设置 |
32年04月 | 物性研究所を设置 |
32年04月 | 东京大学学位规则を制定 |
33年04月 | 薬学部を设置 |
33年04月 | 理工学研究所を廃止し航空研究所を设置 |
34年04月 | 事务局に部制を実施/庶务课を庶务部に、会计课を経理部に改组 |
35年05月 | 東京大学事務局组织規程を制定 |
35年12月 | 事务局営缮课を改组し施设部を设置 |
37年03月 | 生产技术研究所を港区六本木に移転 |
37年04月 | 海洋研究所を设置 |
38年04月 | 大学院の人文科学?社会科学の2研究科を改组し、人文科学?教育学?法学政治学?社会学?経済学の5研究科を设置 |
39年02月 | 东京大学名誉教授称号授与规则を制定 |
39年04月 | 航空研究所を廃止し宇宙航空研究所を设置 |
40年04月 | 大学院の生物系?数物系?化学系の3研究科を改组し、理学系?医学系?薬学系?工学系?农学系の5研究科を设置 |
41年04月 | 総合研究资料馆、大型计算机センター、保健センターを设置 |
42年06月 | 伝染病研究所を廃止し医科学研究所を设置 |
42年06月 | 低温センターを设置 |
43年03月 | 医学部研修医问题を発端とする纷争のため大讲堂での统一卒业式を中止(各学部で分散卒业式) |
44年01月 | 警察力导入により学生らによる大讲堂等の封锁解除 |
44年01月 | 昭和44年度入学试験の中止を决定 |
51年05月 | 宇宙线観测所を宇宙线研究所と改称 |
52年04月 | 创立百周年记念式典を挙行 |
54年09月 | 本部庁舎が竣工 |
56年04月 | 宇宙航空研究所を廃止(大学共同利用机関、宇宙科学研究所と工学部附属境界领域研究施设へ転换) |
58年04月 | 大学院総合文化研究科を设置 |
59年01月 | 東京大学百年史刊行(1巻)(昭和62.3 全10巻刊行) |
60年04月 | 留学生教育センターを设置 |
61年07月 | 山上会馆が竣工 |
63年07月 | 东京天文台を廃止(大学共同利用机関、国立天文台へ転换) |
平成 (1989-2019) | |
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元年01月 | 御殿下记念馆が竣工 |
02年06月 | 留学生センターを设置(留学生教育センターの転换) |
03年03月 | 大讲堂での卒业式を再开(24年ぶり) |
03年04月 | 大学院重点化开始 |
04年04月 | 大学院数理科学研究科を设置 |
04年04月 | 新闻研究所を改组し社会情报研究所を设置 |
05年04月 | 応用微生物研究所を改组し分子细胞生物学研究所を设置 |
06年04月 | 农学系研究科を农学生命科学研究科と改称 |
07年04月 | 人文科学研究科、社会学研究科を改组し人文社会系研究科を设置 |
08年03月 | 驹场寮の廃寮决定 |
08年05月 | 総合研究资料馆を改组し総合研究博物馆を设置 |
08年05月 | 事务局?学生部を一元化(研究协力部设置、庶务部を総务部と改称) |
08年05月 | 调査室を改组し、大学総合教育研究センターを设置 |
09年03月 | 原子核研究所を廃止(大学共同利用机関、高エネルギー加速器研究机构へ転换) |
09年04月 | 大学院重点化完了 |
09年10月 | 东京大学创立120周年记念式典を挙行 |
10年04月 | 大学院新领域创成科学研究科を设置 |
11年04月 | 教育用计算机センター?大型计算机センターを改组し情报基盘センターを设置 |
12年04月 | 大学院情报学环?学际情报学府を设置 |
12年04月 | 宇宙线研究所、物性研究所を柏に移転 |
12年04月 | 教育学部附属中学校、高等学校を廃止し教育学部附属中等教育学校を设置 |
13年03月 | 东京国际フォーラムで卒业式を挙行(学外施设で初) |
13年03月 | 医学部附属病院分院を廃止(医学部附属病院へ统合) |
13年04月 | 大学院情报理工学系研究科を设置 |
13年04月 | 生产技术研究所を驹场滨滨キャンパスに移転 |
13年04月 | 柏地区事务部を设置 |
13年11月 | 东京大学名誉博士称号制度を创设 |
14年06月 | 东京大学学生表彰「东京大学総长赏」を创设 |
14年10月 | 小柴昌俊名誉教授がノーベル物理学赏を受赏 |
14年10月 | 东京大学功绩者顕彰「东京大学稷门赏」を创设 |
15年01月 | 东京大学の式服を制定 |
15年03月 | 东京大学宪章を制定 |
16年03月 | 社会情报研究所を廃止(大学院情报学环?学际情报学府へ统合) |
16年04月 | 国立大学法人化「国立大学法人东京大学」となる |
16年04月 | 大学院法学政治学研究科法曹养成専攻(法科大学院)を设置 |
16年04月 | 大学院公共政策学连携研究部?公共政策学教育部(公共政策大学院)を设置 |
16年04月 | 先端科学技术研究センターを附置研究所へ転换 |
16年04月 | 东京大学特别栄誉教授制度を创设 |
16年10月 | 东京大学运动会歌「大空と」、応援歌「ただ一つ」を东京大学の歌として制定 |
17年04月 | 东京大学北京代表所を设置 |
17年07月 | 「东京大学アクション?プラン」を公表 |
18年04月 | 大学院新领域创成科学研究科を柏キャンパスに移転 |
19年07月 | 本部事務组织を系?グループ制に再編 |
19年11月 | 东京大学创立130周年记念式典を挙行 |
21年04月 | 保健センターを廃止し、保健?健康推进本部を设置 |
22年03月 | 「東京大学の行動シナリオ FOREST2015」を公表 |
22年04月 | 留学生センターを廃止し、国际本部(国际センター?日本语教育センター)を设置 |
22年04月 | 海洋研究所、気候システム研究センターを改組し柏キャンパスに大気海洋研究所を设置 |
22年04月 | 本部事務组织を部?課制に名称変更 |
23年01月 | 東京大学国际高等研究所を設置 |
24年02月 | 东京大学インド事务所を设置 |
25年04月 | 政策ビジョン研究センターを全学センターとして设置 |
26年04月 | 东京大学文书馆を设置 |
27年10月 | 梶田隆章教授がノーベル物理学赏を受赏 |
27年10月 | 「东京大学ビジョン2020」を公表 |
28年10月 | 高大接続研究开発センターを设置 |
29年06月 | 指定国立大学法人に指定される |
30年04月 | 国际本部を改组しグローバルキャンパス推进本部を设置 |
31年02月 | 国际高等研究所東京カレッジを設置 |
31年04月 | 政策ビジョン研究センターとサステイナビリティ学连携研究机构を组织統合し未来ビジョン研究センターを設置 |
令和 (2019-) | |
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元年10月 | 学生相谈ネットワーク本部を改组し、相谈支援研究开発センターを设置 |
02年02月 | 低温センターを改组し、低温科学研究センターを设置 |
03年09月 | 「春雨直播app Compass」を公表 |
04年10月 | 新世代感染症センターを设置 |
05年04月 | グローバル教育センターを设置 |
06年04月 | 多様性包摂共创センターを设置 |
东京大学の沿革とルーツ
東京大学の组织は、東京開成学校と東京医学校の統合再編によって生まれたものである。後者の東京医学校は、その起源を安政5年(1858年)に神田お玉ケ池に開設された種痘所に有している。前者の東京開成学校は、江戸幕府が文久3年(1863年)に開設した開成所の系譜に連なり、この開成所は、安政4年(1857年)に設立された蕃書調所から改組されたものである。
この蕃書調所という组织は、貞享元年(1684年)に設置された天文方からのつながりをもっている。天文方は、暦の編纂を所掌していた幕府の组织であるが、当初より、天文学や暦学を中心に西洋の学問知識の学習?研究を行っていた。そして洋学の重要性の増大に応じて、天文方の中で、蛮書和解御用という部門が設けられたが、幕末になり洋書の翻訳?研究の需要が急激に増大したことから、この部門を発展させ、洋学の教育?研究機関として蕃書調所が設立された。
この蕃书调所において当初任命された2人の教授职、箕作阮甫と杉田成卿は、いずれも天文方の职员である。また、このとき、天文方及び江戸城红叶山文库に所蔵されていた洋书が、蕃书调所に移管された。つまり、东京大学の前身である东京开成学校の系谱は、その学问のつながりはもちろん、人のつながりなどによっても、天文方に连なる歴史をたどることができる。なお、东京大学の初代総理である加藤弘之も、蕃书调所において教授方を务めていた。