戸塚洋二本学特別栄誉教授(元宇宙线研究所長)が 7月10日ご永眠されました。
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戸塚洋二本学特別栄誉教授(元宇宙线研究所長)が 7月10日ご永眠されました。 |
戸塚先生の达成した科学的成果については多くのところで语られていますので、ここでは戸塚先生にまつわるいくつかのエピソードを绍介します。スーパーカミオカンデの建设は1991年度から始まり、1995年度末に完成の计画でした。そこで戸塚先生は広く世界の研究者仲间に1996年4月1日に観测を开始すると宣言し、约100人の全共同研究者を结束してこの目标に向かって进ませました。こう书くのは简単ですが、とても大変なことです。本来研究者というのは自分の好きなことをやるという习性があり、さらにこの习性は全共同研究者の约4割を占めるアメリカ人には强いので。これは戸塚先生の强い决意とリーダーシップによってはじめてなしえたものですが、それと共に忘れてならない、あるいは忘れられないのは、戸塚先生の人柄です。写真に示した戸塚先生のお颜は2000年に撮影したものですが、この写真から想像していただける通り、戸塚先生と话しているだけで心が温まるような人柄でした。この人柄に惹かれて多数の共同研究者が共通の目标に向かって进むことができたのです。
戸塚先生は强いリーダーシップでニュートリノ研究と宇宙线研究所を引っ张ってこられましたが、我々に特别に强いインパクトを与えたのは、2001年秋のスーパーカミオカンデの事故に际しての戸塚先生のリーダーシップです。戸塚先生は2001年の春には宇宙线研究所长としての任期を终えられ、またこの年の夏前には太阳ニュートリノ问题も解决してスーパーカミオカンデの当初の目的を概ね达成されたとして、このあとは定年までゆっくり物理を楽しもうと思われていたのかもしれません。そこに起きたのがあの事故でした。この时の戸塚先生の対応は本当に见事なもので、事故の翌日には装置を再建すると宣言され、全共同研究者を再び同一の目标に向かって进ませました。この时の戸塚先生の献身的かつ强力なリーダーシップがなければ、现在のスーパーカミオカンデも宇宙线研究所も考えられません。いくら感谢してもしきれない思いです。それと共に、戸塚先生が2000年の暮れにガンの手术をされてから1年ほどで、その时期にこのような极限状态で过酷な仕事をしていただくことになってしまったということに関して、本当に申し訳ない気持ちです。
最后に戸塚先生が日顷我々に话されたことをここに书かせていただきます。戸塚先生がドイツで研究をされていた1970年代、研究仲间のハイデルベルク大学の教授の研究室を访问されたとき、古びた棚のなかに古い道具が置いてあり、それについて闻いてみると、これはヘルムホルツが使った道具だ、こちらは谁々の装置だと説明してくれたそうです。戸塚先生はこのときショックを受けたと仰っていました。つまり、我々日本人にはどこかの歴史上の伟い科学者のものとしか考えられないものが、まさにその场所にある、つまり、ハイデルベルグ大学の研究者にとっては科学の歴史が日常にあり、ひいては科学を切り开いて行くということがあたりまえの环境にいるという、日本の环境との违いにショックを受けたとのことでした。そして我々に、将来の日本の科学の発展のためには、我々も若い日本の学生や研究者が、科学の成果を身近なものとして受け止められるような日本の科学の伝统をつくらねばならないと仰っていました。戸塚先生は大きな科学上の成果を残され、まさにこの言叶通りの壮大な梦の実现に向かって生きてこられました。あとに残された我々がなすべきことは戸塚先生が我々に话して下さった大きな梦に向かってたゆみない努力を続けて行くことだと思います。心より戸塚先生のご冥福をお祈りいたします。
宇宙线研究所
2000年にカナダで开催されたニュートリノ国际会议の际の戸塚先生 | 朝日赏受赏の知らせを闻いて、共同研究者と撮った记念写真。中央が戸塚先生。1998年暮れ顷。 |
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