第1174回淡青評論

七徳堂鬼瓦

多様性がもたらす「本质」

近年、ダイバーシティ(多様性)の重要性が広く认识されるようになった。组织や集団に多様な背景を持つ人がいることでさまざまなメリットがあるという。その一つに「物事の本质が见えてくる」という点が挙げられると、个人的な経験からも思う。

笔者は博士课程からポスドクにかけての6年半ドイツ、ミュンヘンで暮らし、异文化に深く触れた。宗教や食文化だけでなく、例えば博士号の意味合いも日本とは少し违った。家やマンションの表札を见ると、苗字の前に顿谤.と付いていることがある。日本で博士というと、「変わり者」のようなイメージが伴うが、ドイツでは一般社会でも博士は一定の尊敬を集めている。世界を変える科学者を多数辈出してきた国の威厳を感じた。自己主张を重要视する文化に适応するのにも苦労した。「黙っている者は、存在しないのと同じ」といった感覚があり、たとえ间违っていたとしても、自分の考えを述べることが求められる。协调性が重んじられる日本とは対照的だ。

しかし、ドイツの方が优れているとか、日本の方が良いなどと思ったことはない。重要なのは、日本社会の価値観が絶対的な物ではないと知ったことだ。帰国した后も社会の风潮に流されず、自分らしく生きやすくなった。

現在筆者は、30カ国からの約1500名の研究者が参加する、Cherenkov Telescope Array (CTA)プロジェクトの一員である。チェレンコフ望遠鏡と呼ばれる特殊な望遠鏡数十台を、各国が協力して開発している。複雑なシステムの部分部分を別の国の別の研究所で開発し、最終的にそれらを統合する。その接続部分で問題が起こることが多い。問題解決には当然、相手側と協力しなければならない。

笔者がよくやりとりするのはスペイン、ドイツ、イタリア、フランスの研究者たちであるが、文化の违いは感じる。フランスのチームは総じて、休暇が非常に多い。しかも、接続部の问题があっても、休暇が絶対优先である。安全性に问题がある可能性がわずかにあると言い出し、望远镜の试运転をストップさせたのはドイツのチームだった。この厳格さも国民性の表れだろう(精査の结果、问题はなかった)。逆に、きっとうまくいくと、何事も楽観的に考えられる人たちもいる。日本の感覚だと心配であっても、确かに8割くらいは杞忧に终わるので、あちらが正しいのかもしれない。

异文化が集まりながらも、颁罢础は顺调に开発が进んでいる。それぞれ微妙に异なる考え方やプライドを持ってはいるが、よりよい望远镜を作りたいという思いは共通だからだろう。多様な文化のベクトルが混ざり合うことで、余分な要素は相杀され、本质的な成分だけが浮き彫りになり、それがプロジェクトの推进力となっている。

斋藤隆之
(宇宙线研究所)