第1173回淡青評論

七徳堂鬼瓦

76歳の娘へ

つい先日娘が産まれました。子を持つことがどのようものなのか、今まさに経験しています。2024年生まれだなんて、未来人みたい、すごい! 76年後に、76歳になった彼女は、2100年の世界を生きているのですね。私はこれまで、22世紀はタイムマシンの世界に過ぎないと思い込んでいました。しかしどうやら、22世紀は现実に存在しているようです。だけれども私には、76年后の世界を具体的なものとして想像することは、とても难しい。1948年のあなたは、2024年の今をどのように思い描いていただろうか。

現代の生命科学が、純粋な好奇心に基づいた偶然の発見の積み重ねの上に成り立ってきたという科学史観は、あながち的外れではないだろう。インディアナ大学で博士号を取得したばかりのJames Watsonは、1950年9月、バクテリオファージの核酸合成酵素の生化学解析を行うコペンハーゲン大学のHerman Kalckarのもと、Merck Fellowとして研究を開始した。しかし、核酸代謝の研究に興味を持てなかったWatsonは、1951年10月、ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所に移る。そこで偶然にFrancis Crickと出会い、後にDNA二重螺旋構造を見出すこととなる。このときMerck Fellowshipを所管するNational Research Councilは、Watsonの研究計画の変更を認めなかった。その結果、彼のMerck Fellowの資格は途中で打ち切られてしまうことになる。分子生物学の礎ともいえるDNA二重螺旋構造の発見は、知的好奇心に駆られた若き日のWatsonの、まさに「寄り道」の産物であったといえる。現代の「選択と集中」型の科学予算政策、あるいは近視眼的な出口戦略を掲げる応用研究の偏重は、未来への投資としてどれほど有効なものなのだろうか。

私は、私の娘が生きる2100年の世界を見てみたいと、心から思う。76歳の彼女と話をしてみたい。調子はどうですか? 元気にやっていますか? 無理をせず、健康に気をつけて暮らしてくださいね。お父さんは今、2024年の東京で、ハエの卵を顕微鏡で眺めています。ひとの役に立つかどうかわからないけれど、割と楽しいですよ。

深谷雄志
(定量生命科学研究所)

※惭别谤肠办は世界的な化学?医薬品メーカー