第1156回
学术の交易
瀬戸内の大叁岛に大山祇神社という古社がある。宝物馆には白村江の戦いのため斉明天皇が奉纳された镜や源义経奉纳の鎧など多くの国宝がある。祭られている大山积神は记纪では「山の神」、伊予国风土记では「大海原の神」とされている。岛に祭られた神様が「山の神」というのはおかしいが、记纪によれば钓り针を无くして海神の宫殿を访れた山彦の祖父にあたる。おそらくは海の幸?山の幸の交易を盛んに行っていた大豪族が祭られているのではと想像する。
最近チリのアントファガスタ大学を天文学の研究会で访れた际、海彦山彦伝説を思い出す大きな钓り针を海洋博物馆で见た。周辺で暮らしていた海の部族のもので、仪式で使った小石や銛、双胴のカヌーの模型なども展示されていた。大変美しい模様の壶や整った网目の蔓の笼も多数展示されていたが、壶や笼は海の部族が作ったのではなく、交易でもたらされたものだそうだ。
展示を见ながら、地球の里侧のチリでも、古来、日本と同じような海の幸?山の幸の交易が行われていたのだと思った。アントファガスタの海岸はいつも太平洋の大波がうちよせているが、海の部族は小さなカヌーで荒波を越えて南米大陆の海岸を旅して壶や穀物を手に入れていたのだろう。また笼を作った山の部族は、干物の鱼を求めてアタカマ砂漠を命がけで横切っていたのではないか。今回、木々の生い茂ったオアシス町?サンペドロ?デ?アタカマから海岸まで、アタカマ砂漠を车で横断したが、高速道路を4时间以上走る间、赤茶けた山と砂利ばかりであった。大洋をカヌーで旅するのも、徒歩で砂漠を横切るのも、いずれも命がけだったに违いない。それでも、自分たちが持たない贵重な何かを求めて旅をしていたのだろう。
新型コロナ禍が一段落した我々も、海を越え山を越え、「学术の交易」をまた盛んに行う時が来たのではないだろうか。自らが持たない貴重な何かにぜひ巡り合いたいものである。
土居 守
(理学系研究科)