第1148回
文化としての正の循环
日本学术振兴会の海外特别研究员制度による海外での研究経験や、特别研究员の身分での自主的な渡航による自己研钻に加え、长期的な大型国际共同研究への参画を通じて、国际的视野に富む若手研究者の育成を目指す様々な制度を目にすることが多くなった。そういった制度では、国际会议での発表や海外研究施设?研究室の访问といった短期的交流に加え、异なる研究文化?环境下での长期的な経験を积むことも奨励されている。
かくいう自分も、1991年に、物理学専攻の修士学生として、いわゆるアインシュタインからの最后の宿题ともいわれた重力波の直接検出を目指した研究に参画するようになってから、最初に海外研究机関?アメリカの重力波望远镜尝滨骋翱での长期研究ができたのは、博士の学位を取得した直后のポスドク1年目のことであった。この尝滨骋翱は、その后の2015年に、史上初の重力波の直接検出に成功することとなったが、滞在时は、その尝滨骋翱の4办尘に及ぶ真空系の构筑が行われていた建设初期にあたる。
ちょうど同时期に、罢础惭础300という日本の重力波望远镜の建设も始まっていた。罢础惭础300に従事してほしいという诸先生方のご意向を闻かぬふりの不义理をして、尝滨骋翱に必要な镜の防振装置の开発などに従事するため、カリフォルニア工科大学に9か月间滞在したが、この期间は自分の人生を决定づけた期间といっても过言ではない。
人生最大の宝は、25年余経过してもなお続き、私が现在従事する碍础骋搁础重力波望远镜の开発でもお世话になっている、多くの尝滨骋翱のメンバーとの研究交流であることは言うまでもない。
それ以外にも、个々の研究テーマの推进から大型科学计画のプロジェクトマネージメントまでの研究规模に合わせた取り组み方、大学内における科学者と技术者の役割分担の厳密さ、个性豊かな研究者自身の研究そのものに対する考え方や彼らの私生活の中における位置づけの多様性からは、学び考えさせられることが多かった。
さらに、分野は违えども、偶然にも同时期に日本から渡米し、同工科大学において后に世界的な评価を得る研究成果を残された気概のあふれた诸先生方とも交流する机会を得ることができ、今もなお刺激を受けていることは、学术という大きな视座から自らの研究を俯瞰する姿势の一助ともなっている。
そんな自分も、KAGRAの運営も担うようになり、若手研究者を世界に送り出す立場になった。文化としての正の循环を実現したい。
叁代木伸二
(宇宙线研究所)