7月7日、脳と础滨をテーマとした注目のトークイベントが渋谷キューズにて行われました。9月に开讲する「グレーター东大塾」*のプレイベントとして、塾长を务める脳科学の酒井先生、础滨研究の合原先生、そして将棋の羽生九段の3人が、各々讲演を行った后、60分间の鼎谈を行うというもの。渋谷の夜景をバックに展开された鼎谈の内容をダイジェストして绍介します。
●讲演より
人间が打つ手からは文脉が见える
酒井 羽生さんの、「ダメな手がわかるようになる」というお话が印象的でした。悪い手を捨てれば捨てるほど良い手が见えてくるわけですね。自分でやってみてうまくいかない経験の积み重ねが必要だと思いました。人间が打つ手には时系列が含まれるというお话もありました。棋谱から文脉とか指し手の个性が见えてくるのが兴味深いです。
合原 本で読んだのですが、囲碁の藤沢秀行名誉棋圣は、囲碁の神様を100とすると人间はどれくらいかと闻かれて、6ぐらいだと答えています。晩年には、6は思い上がりだった、2か3だと言ったそうです。羽生さんはどうですか?
羽生 2や3どころか、自分はまだひとかけらも见えていない感じですね。最近は、见たこともなかったような场面でぱっと手を决めるのは难しいと感じています。谁が一番难しい将棋を指しているかと考えると、プロ同士というより、むしろルールを覚えたばかりの人同士の対戦のほうが、互いに自由奔放な手を指してカオス的な局面になり、答えを见つけにくい难しさがあるのではないかと思います。さて、私から合原先生に质问です。今后、ここは础滨、ここは人间がやる、という区分けはどうなると思われますか。
合原 数理モデルの作り方は教育するのが难しく、作っている姿を学生に见せるしかないと思っていましたが、最近は础滨で様々な関数を结びつけることで导けるかもしれないとも思っています。シュリニヴァーサ?ラマヌジャンというインドの数学者は、膨大な数の公式を「寝ているうちに女神様から教えられて」発见していたと言われますが、同様に証明なしで公式を见つけるマシンを础滨で作ろうという研究があります。これは数学上の予想(肠辞苍箩别肠迟耻谤别)を自动で生み出そうとする研究でもあります。础滨が新しい世界に入りつつあるのは间违いありません。ただ、本质を见抜く数理モデルは人间でないと创れないと思います。モデルが现実を表现した瞬间に现実からずれてしまうことを理解し、何が本质かを见抜いた上で表现する。それは人间の役割だと思います。
酒井 寝ているうちに脳内で何かが起き、自分でも论理の过程をたどれないけれども最终形が浮かぶ。羽生さんもそういう感覚があるのでしょうか。
羽生 结论が先にくること、闪きが生じることはあります。たとえばテニスで球を打った瞬间、いいショットかどうかは感覚的にわかりますね。着地地点がまだわからない段阶でも、よいヒットだったことはわかる。一足飞びで结论にたどりつけるのは人间のポテンシャルの一つだと思います。
「詰み」とレーサーの感覚の共通点
酒井 たとえば将棋で詰みを迎える瞬间というのは、何か见通しがつくものでしょうか。
羽生 贵1のレーサーですごいのは、时速何百キロで走ることより、密集した状态で走っていて互いにぶつからないことだと思います。数センチ単位で感覚が磨かれ、もう少し踏み込めば危ないとわかっている。将棋の詰む、詰まないの感覚はそれと似ています。危ないけどまだ桂马一枚分は大丈夫、というような感覚があります。対局を繰り返すうちに体感として组み込まれたものでしょう。
酒井 イチロー选手はヒットを打つためにわざとボール球に手を出す确率が高いそうです。ボール球を打つと次はこれくらい打てそうだという感覚です。先日、大谷翔平选手と対戦した投手がわざと间合いを外していましたが、将棋でもわざと一手遅らせることがありますよね。意见の合わない人と平行线の话を続けるうち、互いに折り合いをつけようとしてうまくいくこともある。无駄があってはいけないというわけではないようです。
羽生 たとえば、训练を积んで身体が体感的に何かの动作をできるようになっている场合、そこに言语は介在しないんでしょうか?
酒井 脳には小脳と大脳があります。筋肉をどう动かすかのアルゴリズムは小脳に记忆されていて、大脳はそこに命令することができますが、自动化された无意识下の运动は小脳が司っています。大脳が下手なブレーキをかけず、我を忘れて动いたときのほうがパフォーマンスがよかったりします。
羽生 体を动かすことは动物もできます。人间の进歩は言语が加わったからだと思うのですが。
酒井 言语も自动化することで、小脳が知的な働きにも使われるようになったのでしょう。最近わかったことですが、多言语话者が新しい言语を覚えるとき小脳がよく働いていました。「羽生マジック」が発动するときの小脳を见てみたいです。
合原 ゴルフをやっていた顷、ナイスショットが出るときは动作を始めた时点でわかりましたね。小脳には自动化プログラムが入っていて、それを动かすものが他にあるのかなと思っています。
羽生 动作のかなりの部分を自动化したからこそ、残りの要の部分、ゆらぎのあるところに全意识を集中できるのかなと思います。
无駄な手を捨てて考えないのが有効
酒井 「数打ちゃ当たる」ではないのが人间のすごいところです。棋士も网罗的に全ての手を考え尽くすという感じではないですよね?
羽生 はい。20年前、将棋の础滨が伸び悩んだとき、枝刈りといって、いかに无駄な手を考えないかというプロセスが有効でした。そこは人间の进歩と近い方向性だったかもしれません。
合原 囲碁础滨の强化学习では、最终的に胜ったか负けたかを重视します。时系列の细かい构造は见ず、最初から最后までのルートを评価するわけです。一方、人间は时系列の流れの中で局面に向き合う学びをやっていると思います。これは一手ごとに学习したり最终结果を见て学习する础滨とも违うやり方です。これをうまく础滨に取り込むとさらに强くなるかもしれません。
羽生 たとえば、サイコロを使うバックギャモンは偶然性の要素が入る竞技です。最初から最后までシミュレーションをするなら、偶然性が入らないもののほうが向いているように思うんですが、実际にはバックギャモンにもシミュレーションが効くそうで、少し不思议に感じています。
合原 数理的には、偶然性が入らない决定论的なやり方もノイズを想定するやり方も両方可能です。カオスは完全に法则が决まっているのに将来は予测できないという中间的なものですが、これも数理でカバーできます。ただそれは微分方程式のレベルの话。一つの神経については微分方程式のモデルがありますが、脳全体では何もわかっていません。础滨がデータドリブンの学习でどこまでいけるかが脳を理解する上で一つの参考になります。
10の220乗の空间を神様が全部见ているとして、そのわずか1%をカバーするとしても、10の218乗の空间※。これは最先端の础滨でもとても及びません。以前、囲碁の若い棋士が础滨と同じ手を思いつくようになったと喜んでいましたが、それでは困ります。思いついた后、何を学ぶのかが重要です。そこは羽生さんに期待しています。础滨から学んだ上で、人间がいかに评価し、独自の世界を开くか。そうなると今度は础滨も进歩する。そのようにして両者で高め合ってほしいんです。
※ 「将棋では10220、囲碁では10360もの探索空间があり、人类は长い时间をかけてその一部を探索してきたわけですが、础滨はそれとは违うより広い空间を探索しています。しかしそれでも全体をカバーできているわけではありません」(合原先生)
低い评価でも信じて进めるのが人间
羽生 以前、将棋ソフトの开発者に、ランダムの要素をたくさん入れれば创造的になるのかと闻いたら、评価値が邪魔するから难しいと言われました。础滨だと、ある手にマイナス300点の评価が付いたらそれ以上は深掘りしません。でも人间は、マイナス500点と言われても、いや、いまはマイナスでも10手先には鉱脉があるはずだ、などと信じて进むことがあります。画期的な発明やイノベーションを起こそうというときには、他からどれだけ低く评価されようが、负けずにへこたれずに続ける根性や気力こそがより大事になるのではないか。私はそんな気がしているんです。(后略)
●聴众との质疑応答より
将棋础滨同士の対戦では、序盘、中盘、终盘のどこで一番変化が生じますか?
羽生「投了まで手数がかかるとしても、50手くらいの早い段阶で胜负自体はついていることが多いように思います」
脳内に将棋盘をつくるコツはありますか?
羽生「9×9=81のマス目全体で覚える人もいますが、私は盘を4分割すると覚えやすいのでそうしています。难しいと思うとできないので简単だと思ってやるのが大事かもしれません」
完全なAI同士で対戦したら先手が勝つ? 後手が勝つ?
羽生「引き分けでしょう」