
创立以来、东京大学が全学をあげて推进してきたリベラル?アーツ教育。その実践を担う现场では、いま、次々に新しい取组みが始まっています。この隔月连载のコラムでは、本学の构成员に知っておいてほしい教养教育の最前线の姿を、现场にいる推进者の皆さんへの取材でお届けします。
2011年と今との比较で科学コミュニケーションを考える
/シンポジウム「科学技術コミュニケーションの16年 ―東日本大震災10年とコロナ禍のなかで―」

内田麻理香
开催延期を受けて内容を変更
――「16年」とは少し半端ですね。
「2005年は科学コミュニケーション元年と呼ばれ、科学技术コミュニケーターを养成する文科省のプログラムが北大と早大と东大で始まった年でした。本来の予定は昨年でしたが、コロナ祸で延期となり、东日本大震灾から10年という节目での开催になったんです。昨年のタイトルは「科学コミュニケーション振兴の15年」でしたが、コロナ祸の状况を见てそれだけでは足りないと思い、変更しました」
「第1部では、まず北大の科学技術コミュニケーター養成プログラム(CoSTEP)の初代代表だった杉山滋郎先生に、「科学コミュニケーション」という言葉が科学技術白書に初めて載ってから、科学にイノベーションが求められるようになるまでの16年間を概観していただきました。次にCoSTEP、早大の科学技術ジャーナリスト養成プログラム(MAJESTy)、東大の科学技术インタープリター养成プログラムの修了生3人が体験談を話し、保険業、医療ジャーナリスト、研究者と各々の立場で経験が活用されていることを共有しました。黒田玲子先生は当部門の黎开催延期を受けて内容を変更明期から実質的リーダーを務め、プログラムを発展させたキーパーソンとして、科学技術の予算の決まり方等について懐かしい思い出も含めて語ってくれました」
――第2部では东日本大震灾とコロナ祸を比べて语る讲演が2つありました。
「坂东昌子先生には科学者自身による科学コミュニケーションの话をお愿いしました。子供たちに科学を教えてきて、震灾を机に放射线について市民と学ぶ活动を开始した先生です。市民を巻き込んだ科学を唱える人はいますが、実际の活动を続けながらそう言える人は贵重です。様々な人を巻き込むことが科学自身のために重要だとの强い信念を感じました。2012-14年度に当部门代表を务めた藤垣裕子先生は、「作动中の科学」という言叶を轴に科学者の责任の问题を绍介しました。より确かなものを求めて刻々と更新されるのが科学の本质です。プレートテクトニクス理论と津波の高さの推定値との関係の话はこのテーマを考える上で非常にわかりやすい例だったと思います」
出演者も运営も全てリモートで
――第3部は讨论でなく蚕&补尘辫;础でした。
「视聴者の质问を集めてパネリストに答えてもらいました。今回は完全リモートで、司会の私は仙台から、パネリストは北海道、京都、东京から、里方の先生や学生も皆自宅からの参加で、厂濒补肠办等で情报を共有しながら进めました。タイムラグの问题もあって质问を捌き切れませんでしたが、事前にリハーサルを3回やったせいか全体的には顺调でしたね。やりすぎかと思ってましたけど(笑)」
――特に印象的だったことは何ですか。
「科学で问うことはできても答えられない问题をトランス?サイエンスと呼びますが、トランス?サイエンスの中にも実は科学で答えられることがあるはずだと坂东先生がおっしゃったこと、ですね。3.11を机に、日本の科学コミュニケーションの方向性は、科学の楽しさを共有しようというものから社会の问题解决に繋げようというものに変わりました。今回のコロナ祸で何らかの変化は生じるでしょう。今回、3.11と比べて何が违うのか何が同じなのかを见せるという当初の目论见はある程度できたと思いますが、今后もそこを皆で考えていきたいです」







开会挨拶 |
太田邦史(総合文化研究科长) 松尾基之(KOMEX 機構長)
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第1部 歴史と成果 | |
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第2部 东日本大震灾とコロナ祸 | |
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第3部 パネルディスカッション | |
闭会挨拶 |
广野喜幸(科学技术インタープリター养成部门长)
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