




個人蔵 ?

(1967年) 個人蔵 ?

(1968年/2021年) 個人蔵 ?

(1978年) 駒場博物館蔵 ?

(2003年) 個人蔵 ?

本郷の中央食堂には宇佐美圭司氏の絵画作品《きずな》が1977年から展示されていましたが、 2017年の改修の過程で不用意な廃棄処分により失われました。本展は、取り返しのつかない結果をもたらしたことの反省にたち、 戦後日本を代表する画家の長年の活動を振り返り、その芸術が提起した問題を学びながら芸術とともにあることの大切さを考える機会とするために開催しています。企画を1から進めてきた加治屋健司先生による作品紹介を読んだら、ぜひ駒場博物館へ足を運んでください。

今回、宇佐美圭司さんの 長年にわたる多様な創作活 動を初期から晩年に至るま で概観しようと、10 点の作 品を選んで展示しました。
まず、?は宇佐美さんが22 歳のときの作品で1963 年の初個展の頃に描いていたうちの一点です。当時の宇佐美さんは、世界的に注目された抽象表現主義に興味を持ち、インスパイアされながら抽象的な絵画を描いていました。この絵にもその影響が感じられます。図と背景を明確に区別せずカンヴァス全面を覆う「オールオーヴァー」という手法が使われています。
?はネオダダやポップアートが勃兴した顷の作品で、抽象的な要素に具象的なモチーフを取り入れる试みがなされています。絵の左下に描かれたのははおそらく腕。左上にも同様のものが见られます。具象的表现を復活させるなかで、最初は自分の身体の形を、しだいに雑誌の人体の切り抜きを取り入れます。単に现実を回復するのではなく、既存のイメージを用いることで、従来の抽象絵画とも现実のイメージとも违う别の现実を表していたように思います。
抗议する人の形がモチーフに
?は60 年代半ばから展開された水族館シリーズの一つです。宇佐美さんは、1965年の雑誌『ライフ』のワッツ暴動の記事に掲載された、抗議する人々の身体の形をモチーフにしました。当初はこの絵に見られる6 つの人型を使いましたが、後に中央の2 つは使わなくなります。また、人体が様々な動きをしていますが、これも徐々に統一され、4 人の人型に収斂していきました。
それがよく现れているのが?のシリーズで、后に《きずな》につながるものです。重要なテーマとなっているのは人と人の関係。各々の人型は完全な姿では描かれず、共通部分が省略されたり、线で结びついたりしています。そうした関係が复数つながり合う、构造主义的な视点を持つ作品です。
?は28 歳のときの一作で、絵画から一転して人型を使うメディアアートに踏み出したもの。今回、レーザーの専門家である総合文化研究科の久我隆弘先生にご協力いただき、発表当時のスモークマシンではなくドライアイスを使って再制作しました。オリジナルは鑑賞者が内部に入って自分の身体で光線を遮って光線に干渉する形でしたが、翌年に安全基準が厳しいアメリカで展示した際に外から覗いて見る形になりました。今回はそのやり方を再現したわけです。当時は高出力のレーザーが使えましたが、いまは安全基準が厳しく低出力のものでないと使えず、光線は細くなっています。
よりシンプル化した《きずな》
「プロフィール」というシリーズの?でも同様のテーマが追求されています。人の横顔6 つを組み合わせて新しい形にした作品ですが、非常に複雑になったため、このシリーズは止めて、再び人型を用いて手がけたのが?の《きずな》です。?と比較するとシンプルな構成となり、画面があまり込み合っておらず、背景との区別もより明確です。左下では人型の関係性が図解されており、食堂で観る学生が作品に入り込みやすいよう教育的な効果を狙ったのではないかと私は考えています。残された写真や資料を元に復元を行い、中央食堂に飾られていたときに近いサイズで駒場博物館の壁に投影しています。
この后に宇佐美さんは一旦油絵制作を控えてドローイングに移りました。?はその一つ。円に人型を内接させています。レオナルド?ダヴィンチが残した人体図を下敷きにしています。ラファエロの《アテネの学堂》をモチーフにしたのが?で晩年に取り组んだシリーズの一つが?でした。
このように宇佐美さんは1965 年に見つけた4 つの人型を使って様々な展開を進めてきました。多様な「関係の場」である学食に掛けられていた貴重な《きずな》を失った背景に、多くの関係性の欠如があったことを考えると、私はいまも無念が募ります。
开馆时间:10~18时(入馆は17时30分まで)
休館日:火曜 観覧料:無料 ※駒場博物館
ウェブサイトでの日时指定予约が必要。
をご覧ください。 主催:东京大学 协力:ソーラボジャパン株式会社、东大驹场友の会
问い合わせ:驹场博物馆
komabamuseum@museum.c.u-tokyo.ac.jp

