
东大から海洋研究开発机构(闯础惭厂罢贰颁)へ移管された后も、海洋の共同研究プラットフォームとして世界の海で活跃してきた2代目「白凤丸」。就航30周年を記念して、船をベースに様々な研究を行い、運用も担ってきた大気海洋研究所の皆さんにご参集いただき、その貴重な役割やこれまでの功績、今後の展望について語ってもらいました。司会を務めるのは、学生時代に白凤丸で船員に叱られた経験を持つ、広報室長の木下先生です。






木下●乗船経験を含めての自己绍介を。
初の海外は白凤丸で行ったハワイ
濵﨑●私は駒場時代に白凤丸を知り、その後、博士課程時代に2回乗りました。初の海外は白凤丸で行ったハワイで、海山の上の生物相観測のために1冊目のパスポートを作ったんです。広島大学に移り、2006年に東大に帰還してからはちょくちょく乗っていて、航海日数は200と数十日。専門は海の微生物です。
冲野●学生時代は海と関係がなく、海洋研の助手になって初めて乗りました。以後、白凤丸での航海日数は163日。主な航海先はインド洋やフィリピン海です。専門は海洋地質学で、海底を測って成り立ちを調べています。
津田●修士課程の頃に「乗れるなら何でもやります」と言って志願したのが最初で、それ以来、18航海、700日は乗っています。専門はプランクトンです。白凤丸と白凤丸で出会った皆さんに、研究船とは何か、海で研究するとはどういうことかを教えてもらいました。
石垣●観测研究推进室という职场で技术职员をしています。乗船中の主な仕事は、観测机器のメンテナンス、観测のサポートや指导、航海调整业务など。颁罢顿(塩分、温度、水深などを出力する装置)、マルチプルコアラー、エアガン、プランクトンネットなど、全国の研究者が频繁に使用する観测机器については、陆上でも责任を持ってメンテナンスを行います。航海日数は1170日で45航海に乗船しました。
陈●私は水圏生物環境学研究室の博士課程1年です。以前は上海の復旦大学で鳥を研究していて、卒業して3年働いた後、やっぱり研究がしたいと思って日本に来ました。2016年8月に研究生になり、半年後に修士課程に入りました。いまは紫外線がプランクトンにどんな影響を与えるかがテーマです。白凤丸は2017年夏が初乗船で、次が30周年の世界一周航海でした。合計90日ほど乗っています。
津田●航海中の仕事は、プランクトンネットを引くか泥を採るか水を採るか。合间に休めばいいのに彼女は水もプランクトンも採り、紫外线も测り、実験もする。働き者です。
ほとんど寝ないで観测しています
陈●観测点についたらほぼ寝ません。自分の研究に関わる観测は自分でやりたいので。
木下●研究者の鑑ですね。では、研究者が気になる白凤丸のラボについて教えてください。
津田●そもそもラボが10個もある船はなかなかないですが、白凤丸はRI(ラジオアイソトープ)のラボもクリーンルームも常設する非常に貴重な船です。だから地質、物理、生物まで多分野の研究者が乗って仕事ができます。
濵﨑●他の観測船にも乗りましたが、新たに装置を持ち込んで使えるスペースが意外に少なく、白凤丸との違いに最初は驚きましたね。
石垣●ただ、仓库が狭いんですけどね。
濵﨑●私の场合、採った水を船上でろ过し、微生物をフィルタに集めて持ち帰ります。昔はどんな微生物がいるかを调べるのに培养の手间が必要でしたが、いまは技术が発展して微生物を船でも分析できる。そのため船での作业量は増えています。理想はサンプルではなくデータを持って下船することですが。
津田●一方で、陆でできることはあえて船ではやらない、という考え方もありますね。
木下●地质学の分野ではどうですか。
冲野●私が船で行うのは採集ではなく観测で、海が荒れてもできることが多いのが特徴です。他分野の人がやりたいことを悪天候でできないときには率先して船を使います。たとえ本来の割当は4日间でも次の観测点に移动する间に観测します。谁かの机器が壊れたら修理する间にうちのグループがすかさず测ります。
ボーっと见てんじゃねーよ!
津田●この前、冲野先生の研究室の学生と航海がいっしょで、彼が冲野先生からもらった注意書きに「ボーっと见てんじゃねーよ!」と書いてあって、厳しい人だと思いました。
冲野●あ、「チコちゃん」の台词なんです~。
津田●周囲に目を配り、何かおかしいことがあったら対処せよ、ということですよね。
冲野●いまは笔颁でもある程度データ処理ができます。机器が地形を测る间は特にやることがなく、人はついデータ処理に梦中になっちゃう。で、気が付くと机械がとまっていたりノイズが増えていたりしがちです。そのときしか取れないデータを逃すのが怖いんです。
木下●航海は一期一会ですね。では、白凤丸から生まれた研究についてご紹介ください。
冲野●インド洋の熱水系の研究は、生物の人から地質の人までがいっしょにやれる白凤丸ならではのものでした。熱水系にはどんな岩石があり、どんな水が噴いていて、どんな生物がいるのか。そこを明らかにしたのが大きな成果です。地質構造から石、水、一次生産者、微生物というつながりが見えたのは、白凤丸というプラットフォームがあるからこそ。
濵﨑●私はこの10年ほど、化学の研究者とともに太平洋を調べ、化学的なデータと微生物の関連性をつかんできました。一例は、リンがない海域の微生物が持つヒ素の耐性遺伝子です。リンとヒ素は性質が近く、微生物は両方を体内に取り込みますが、リンが少ない環境で毒性が高いヒ素の取り込みが増えるのは死活問題。そこでヒ素を排出する力を身につけたようです。リンがある海域にいる同種にはその力がない。環境に適応して一方だけが耐性を持ったのです。リンの有無は海域に鉄の供給があるか否かに拠ることもわかった。白凤丸が太平洋の姿を明らかにしてきました。
白凤丸が太平洋の姿を明らかに
津田●私が一番印象深かったのは、15年前に行った350kg相当の鉄散布実験です。海に鉄分を入れたときに何が起こるのかを、植物プランクトン、動物プランクトン、微生物、魚の各分野で網羅的に調査しました。太平洋の多様な生物分布が従来の知見と全然違うことがわかったんですが、まだ論文にまとめきれていません。太平洋の生物分布をほかのどの船より調査してきたのは白凤丸。それを世に十分示せていないのは私のふがいなさ。そこは退職までに成し遂げる決意です。
木下●では、话题を転じ、船酔いや船の生活について闻きたいと思います。いかがですか。
津田●白凤丸はよく揺れる船ですよね。
冲野●ピッチ(前后の揺れ)がきついかな。
石垣●私は以前は民间で働いていて、船の経験はなかったんです。最初に乗った淡青丸の航海で船酔いし、もう辞めようと思いました。でも酔い止め薬をもらって饮んだら数时间后に治って、最后の夜は酒を饮んで酔っ払って。それが楽しくて、辞めるのをやめました。
陈●酔い止め薬を饮めば効きますよね。
冲野●私は航海日数分を持って乗り込みます。
木下●白凤丸の食事はどうですか?
石垣●叁食出て、希望者には夜食もあります。
陈●私は朝食が鱼なのは苦手で、朝は持ち込んだパンを食べていました。
冲野●航海の最后に船长に「僕はもっとおかずがほしい!」と叫んだ学生がいました。
津田●実はフィールドワークでこんなに恵まれた环境にいられるのは船だけです。叁食付きで风吕も洗濯机も乾燥机もあるんですから。
木下●学生时代、陆では金がなくて饭が食えないけど、船では心配なし。梦のようでした。
津田●我々世代はそうでしたけど、いまの若い人はそうは思ってくれませんよね。
陈●はい。それより、船は森や岛よりきれいなのがいいですね。虫もいないし。ストレスもない。陆ではいろいろ考えちゃうけど、船だと情报が少なくて仕事に集中できます。
木下●船での至福の瞬间というと?
濵﨑●夕食后に烟突甲板でビールを饮んでいるときはなかなかいい気分ですね。→?
冲野●私は勤务シフトを4时~8时にして、甲板で日の出を见るのが一番好きです。→?
津田●船が动いている间は気が休まらないけど、寄港地につけば好きなだけ寝られます。揺れないし、寄港地の楽しさは别格です。
濵﨑●私が学生の顷はまだ日当があって、それをためて寄港地で游ぶのが楽しみでしたね。
石垣●ワインならチリのプンタアレナスかな。



共同利用の研究に次代を拓く种が
津田●そうした素晴らしい航海の前提となるのが、大海研が運用を担う共同利用です。全国の研究者が航海の提案をし、学術のコミュニティが評価して採択する。いい航海を提案すれば大学院生でも主席として船を動かせます。そんな船は白凤丸と新青丸だけ。共同利用の航海で行われた研究の中にこそ次代を切り拓く要素が入っている、と確信しています。
木下●そんな船が今度改修されるそうですが。
陈●船体のクリーム色とオレンジ色は残してほしいです。白凤丸は船員さんがいつもサポートをしてくれて、自分が持ちこんだ機器も船でどう使うのが一番よいか相談に乗ってくれます。そこも変わらないでほしいです。
津田●「こんなの使えねえよ」と言っても、最後には改良して使えるようにしてくれる。観測に船員が一歩も二歩も踏み込んでくれるのは、白凤丸ならではの文化だと思います。
濵﨑●白凤丸の船員として採用された人がいるからこそという気がしますが、いまは外の会社の船員さんもいますね。長期の航海が多いので若い人は大変だと思います。
石垣●繰り返しますが、ハード面では仓库が絶対に必要です。十分な仓库さえあれば……。
濵﨑●様々な組織の研究者が乗ることを鑑みると、白凤丸は一種のショーケースだとも思います。研究者志望の場合、船でのパフォーマンスが将来につながるかもしれませんし。
冲野●学生が考えて行动しているか否かが、船の上では如実にわかりますからね。
濵﨑●己のことしかやらない人と具合が悪くても共同作业を顽张る人。人间性が见えます。
津田●そんなこと言ったら、学生が怖がって谁も乗らなくなっちゃうかも……。
冲野●新しい白凤丸で地図のない場所へ行きたいですね。あとは、女性の主席研究者を育てたい。過去には私ともうお一人だけなので。
木下●若者へのアピールが课题でしょうか。
津田●通信环境をよくすると喜ばれるはず。
冲野●余计な仕事が増えそうで心配ですけど。
津田●若い人は普通に厂狈厂ができない环境が大きなストレスになるようですから……。
(2月14日、大気海洋研究所応接室にて)


船に乗る研究者は客じゃなくて仲间です

私は北大水産学部の出身で、1996年に海洋研究所に船員として採用され、2014年に白凤丸の船長になりました。船乗りを目指したのは、学生の頃に初めて乗った練習船で帰りの港が見えたときの感触が忘れられなかったからです。白凤丸は船長2人体制で運航していて、航海ごとの交代が基本ですが、30周年の世界一周は4ヶ月の長期航海だったため、私は途中のハワイから船長を務めました。
一般の船では船員が搭乗者にサービスを提供しますが、白凤丸では違います。船に乗る研究者はお客様ではなく海洋研究をともに行う仲間。だから、天候や海の状況を見ながら観測の順序ややり方を変えるよう求めます。昔は強情な研究者もいて、大時化が確実なのにどうしても行くと言い張るのでやむなく行ったら案の定何もできなかった、ということも。さすがに自然現象には逆らえませんが、観測に関してはいまの研究者ももっとわがままを言っていい、と思っていますよ。
白凤丸の船体の特徴の一つは木甲板です。鋼が一般的ですが、強い日射を吸収する木甲板のほうが乗る人に優しいんです。ただし手入れは大変。船の随所で老朽化が目立ちますが、エンジンの換装をはじめとする大改修を施してあと20年延命することが決まりました。30代を迎えた白凤丸を船長としてしっかり動かしていきます。(談)
船でインフルエンザが流行ったことも……

昨年の10月より学術研究船「白凤丸」は長い航海に出ている。この原稿を書いている今日、すでに太平洋に入り、数日後には晴海ふ頭に戻ってくることになっている。就航30周年の節目となる本航海は、57,000キロにも渡る長期の研究航海である。太平洋を南下、南米チリを経由して南大洋大西洋区に入り、南アフリカに寄港してから、南大洋インド洋区の調査を行い、オーストラリアを経て、インドネシアを抜けて日本に戻ってくる。
思い起こせば私も、前世紀の終わり近くに「白凤丸」に乗船し、スールー海からインド洋に抜けて、フリーマントルまでの研究航海に参加した。船内でインフルエンザ罹患者が多数発生するなど、波乱に富んだ航海であったが、無事に採泥や採水観測を終え、真夏のオーストラリアに寄港した。今までいろいろな調査船に乗ってきたが、白凤丸の乗船では、海洋調査がどういうことなのかを学んだ思い出がある。
現在も、唯一のJAMSTEC自主運航船として運用されている「白凤丸」では、多くの学生が乗船し、次世代の海洋研究者となるべく研鑽を積んでいる。真のマルチパーパスな学術研究船として、また、航海する研究所?教育機関として、再来年度の大改造を経て、今後も日本の海洋調査の第一線を担ってもらいたい。(寄稿)
