第1116回淡青評論

七徳堂鬼瓦

信号と雑音

自然界には、自然现象が発する様々な「信号」とそれを覆い隠そうとするさらに多様な「雑音」が存在します。「信号」と「雑音」の定义は、我々が知りたい现象由来なのかどうかという相対的なものですが、通常は、知りたい现象以外からの「雑音」を可能な限り除去し、「信号」をクリアにしてその素性を明らかにします。地震学分野では、震源位置や地下の境界面を知るため、震源から放射される縦波や横波、さらに地震波が伝搬する途中で二次的に生じる変换波や反射波などが信号として、风や波浪などの自然现象、电车や车、工场など人间が生成する振动が雑音として取り扱われます。私が発见した深部低周波微动という现象はスロー地震の一つとして现在では世界中の多くの研究者が注目していますが、波形记録そのものは人间社会から生成される「雑音」によく似ており、従来の地震学では「信号」とは认识されませんでした。しかし、稠密な観测网が构筑されたことで同相现象の认识力が向上し、「信号」として认识されるようになったのです。また、雑音も微弱な信号の重ね合わせであるという考え方に基づき、あるルールに従って雑音を足し合わせることで地下の情报を与える信号とみなせる、という理论?解析手法が开発され、「雑音」も重要な「信号」源として大いに活用されるようになってきました。このように、今后さらに観测インフラや解析手法が高度化することによって、「雑音」から「信号」にその価値が変质し、さらに科学的成果が创出されるものと期待されます。

人间社会に置き换えれば、「信号」は何か物事を进めるうえでの建设的な賛成意见であり、「雑音」はそれに反する、あるいは多种多様な意见と考えることができます。ただし、自然界と同様に「信号」と「雑音」は相対的なものであり、使い方によっては、「雑音」も重要な「信号」としての真価を発挥するのかもしれません。

小原一成
(地震研究所)